植民地化以前
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ポートモレスビーに住んでいたモツ族は、壺を作って、サゴヤシその他の食料、カヌー用の丸太などと交換し、湾内の水上に高床式住宅を建設し、Hanuabada などの集落を作って暮らしていた。また、湾岸州の人々と通婚し、血縁と交易による強い結びつきを形成していた。 ヒリ貿易と呼ばれる商取引は大規模であった。20隻ほどのカヌーまたはlakatoiの船団には600人の乗組員が乗船し、航海の度に約20,000もの土器を運んだ。モツ族にとって、ヒリは営利目的のビジネスであっただけでなく、その長く危険な航海の故、自らの種族としてのアイデンティティを確かめるものでもあった。 この航海は現代においては、エラ海岸で毎年9月に行われるヒリ・モトゥ祭りにおいてしのばれている。
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植民地化以前
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「マサチューセッツ州の歴史」の記事における「植民地化以前」の解説
ヨーロッパ人が入る前のマサチューセッツには様々なアルゴンキン語族のインディアンが住んでいた。マサチューセッツ湾の一帯にはマサチューセッツ族が居た。バーモントやニューハンプシャー境界近くおよびメリマック川渓谷は伝統的にペナクック族の本拠地であった。ケープコッド、ナンタケット、マーサズ・ヴィニヤードおよびマサチューセッツ南東部には、ピルグリム・ファーザーズが会ったワンパノアグ族が住んでいた。ケープコッド半島の先端には結束の固いノーセット族が居た。中央部およびコネチカット川渓谷は組織の緩やかなニプマック族が本拠としていた。マサチューセッツ州西部のバークシャー地区には、ポコムタック族とモヒカン族が住んでいた。ロードアイランドやコネチカットから溢れ出たナラガンセット族やモヘガン族もここに住んだ。 マサチューセッツ族を始め、ニューイングランドの海岸に住んだインディアンは全て、1614年のジョン・スミス船長の到着前後で、天然痘のためにその人口を大きく減らした。ヨーロッパ人が訪れた世界の遠隔地は全てそうだったが、インディアンには免疫力が無かった。
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