征服者・軍人による略奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:06 UTC 版)
455年:ヴァンダル人によるローマ略奪。ウァレンティニアヌス3世の死による混乱のうちに行われた。 870年:サワーダ・イブン・ムハンマドのアグラブ朝による東ローマ領メリタ(現マルタ共和国、イムディーナ)占領(メリタ包囲戦 (870年))。街は破壊され、教会は略奪され、住民は虐殺された。教会の大理石が持ち去られ、スース城の建設に用いられた。 1000年-1027年:ガズナ朝のマフムードによるインド侵攻。ソムナス、マトゥラー、カナウジといった宗教都市が何度も略奪をうけた 1204年:コンスタンティノープルの奪取。第4回十字軍が東ローマ帝国を滅ぼし、その首都を略奪して莫大な富をイタリアに流した。 1631年:マグデブルク占領。三十年戦争中、ティリー伯ヨハン・セルクラエス率いる神聖ローマ帝国軍がプロテスタント都市のマグデブルクを占領し、略奪と虐殺を行い、街の人口は3万人から5000人に減った。この事件により、ドイツ語で大量殺戮を意味する「マグデブルク化」(Magdeburgisieren)という言葉が生まれた。 1664年:マラーターの指導者シヴァージーによるスーラト占領・略奪 1804年-1814年:ナポレオン戦争。ナポレオン1世率いるフランス帝国軍(大陸軍)はヨーロッパ全土で略奪を行った。 1812年:バダホス包囲戦。スペインのバダホスを占領したイギリス軍とポルトガル軍が街を略奪した。 1860年:円明園略奪 1900年:北京略奪。前者はアロー戦争で清に勝利したイギリス・フランス同盟軍、後者は北清事変での八か国連合軍によるものである。 第二次世界大戦中:ナチス・ドイツが絵画保護部隊(Kunstschutz)を中心に、占領地で芸術品の略奪を行った。またソビエト連邦軍も、ドイツやドイツに占領されていたポーランドなど東欧諸国を略奪した(第二次世界大戦中のポーランドにおける略奪)。アジアでも、日本軍が大規模かつ組織的な略奪を行っている。 2022年:ロシアによるウクライナ侵攻では、ロシア連邦軍やロシア国家親衛隊がウクライナ国内の民家などから略奪行為を行い、本国へ略奪品を送っている姿が記録されている。
※この「征服者・軍人による略奪」の解説は、「略奪」の解説の一部です。
「征服者・軍人による略奪」を含む「略奪」の記事については、「略奪」の概要を参照ください。
- 征服者・軍人による略奪のページへのリンク