「契丹」に由来する呼称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:34 UTC 版)
11世紀頃に中国の北辺を支配したキタイ(契丹)人の遼王朝から、12世紀から13世紀の、モンゴル高原のモンゴル人は、中国をキタイと呼び、モンゴル帝国による征服活動の結果として、内陸ユーラシアのテュルク語や東スラヴ語などでは、中国のことをキタイに基づく呼称で呼ぶようになった。13世紀後半に、元朝統治下の中国をマルコ・ポーロは、北中国のことをカタイという名で記録した。ロシアやウクライナ、ブルガリア、カザフスタンでは現在も中国のことを Китай (Kitaj) 、ウズベキスタンではXitoyと呼んでいる。西ヨーロッパにはCathayとして伝わり、キャセイパシフィック航空の社名などに使われているが、Chinaに比べるとあまり広汎に用いられる呼称ではない。
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