「女の論理」:多様性と共生の思想
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「飯島愛子 (ウーマンリブ活動家)」の記事における「「女の論理」:多様性と共生の思想」の解説
飯島らは、現体制のなかで女性が「男並み平等」を求めることは、帝国主義的再編に加担するだけではないかと提起した。具体的には1990年代以降、アメリカ合衆国のフェミニストは、軍隊のなかで女性も戦闘に参加させるべきと主張しており、これについては日本でも議論があったが、女性兵士は「男並み平等」の必然的な帰結である。 こうした状況のなかで飯島が唱えたのが「女の論理」であった。飯島によれば、近代社会は「男の論理」で動いてきたのであり、そこでは生産性や合理主義を他に優先する価値として信奉されてきた。「男の論理」は、理屈で割り切れないものを有しながらも「非生産的」とみられる女性を劣位化し、しばしば女性性を切り捨てようとしてきた。飯島は、こうした「男の論理」に対して、女性が真に解放されるには「モノの生産から命の生産へ」の転換が必要であると訴えたのである。飯島は、人間の基本的な行為である「産むこと」と「生きること」とがたがいに分離させられていることこそが、女性差別の根源であると主張する。生命の生産と、生命生産の手段であるはずのモノの生産とが分離し、生命生産が物質生産に従属させられたところに近代の宿痾があるととらえるのである。従来、女性の自立、近代的自我の確立をめざしてきたフェミニズムであったが、乳幼児・児童、障がい者、高齢者など、すべての人間は自立できない存在として生まれ、多くの場合自立できない存在としてこの世を去らなければならない、そういう意味で、人間社会は当初より自立できないものをあまりに多く含み込んでいる。そして、自立できないときには誰かのケアが必要である。飯島が唱えた「女の論理」は、反差別を契機としながらも、一方では、「多様性」や「共生」など今日的な価値観へとつながる意義を有していたのである。
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