ティムールの征服戦争
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ティムールの征服戦争(ティムールのせいふくせんそう)では、1370年から1405年までのティムールの征服事業について解説する。モンゴル帝国再興を目指してティムールは中央アジア、トルキスタン、ペルシア、イラク、シリア、南ロシア、インドへの征服戦争に生涯を費やし一大帝国を築く。これはユーラシア規模の最後の征服戦争であった。
- ^ 『西チャガタイ−ハン国』 - コトバンク
- ^ かつての日本で書かれた書物ではティムールはチンギス・カンの子孫を称したと記されていたが、完全な誤りである。『ムーイッズル・アンサーブ』等の書物が示す通り、ティムール家はチンギス・カンと同じ祖先の子孫であることを称していたのである。
- ^ ジャハーンギールはティムールの長男か次男か諸説があるが、川口琢司は次男との説を出している(川口琢司『ティムール帝国支配層の研究』)。ジャハーンギールは唯一の正妻の子だから長男扱いされたのかもしれない[要ページ番号]。
- ^ ティムールの最後の遠征先については、通説では明だと言われて来た。これに対して岡田英弘は、カスティーリャ王国(現在のスペイン王国の大部分)の使節の一員であるルイ・ゴンサレス・デ・クラヴィホの記録から、ティムールの遠征先はモンゴリアの北元政権であるとの説を出している。荻原淳平も『明代蒙古史研究』でティムールはモンゴル高原を目指していたとの説を出している。
- 1 ティムールの征服戦争とは
- 2 ティムールの征服戦争の概要
- 3 概要
- 4 背景
- 5 ティムール朝の成立
- 6 ティムールの征服戦争
- 7 評価
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