トクタミシュとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 01:49 UTC 版)
「ティムールの征服戦争」の記事における「トクタミシュとの戦い」の解説
詳細は「トクタミシュ・ティムール戦争(英語版)」を参照 ティムール帰還するの報を受けトクタミシュは一旦は軍を引き返すも、再び攻め寄せた。これにはティムールも憤激してトクタミシュを討伐することを決めたが、そのために2年間準備を行い、後方の憂いを絶つためにモグリスターンに軍を進めた。かくして1391年1月にティムールはトクタミシュに対して20万の軍を率いて出陣したのである。ティムールには別のトカ=テムル家のティムール・クトゥルグとエディゲが随伴していた。キプチャク草原に進んだティムール軍であったが、そこは飢餓地帯であった。飢えと渇きに苦しみながらもティムール軍はトクタミシュの本隊を捕えることに成功し、6月にコンドゥルチャ川で対峙した。 この時ティムール軍は7つの編隊から成っていた。即ち、前衛にスルタン・マフムード、中央に嫡孫ムハンマド・スルタン(嫡子ジャハーンギールの長男)、その後衛にはティムール本隊、右翼にはミーラーン・シャーと先陣のサイフ・ウッディーン、左翼にはウマル・シャイフと先陣のピールディ・ベクがそれぞれ配置していたのである。対するトクタミシュは自身が中央に位置し、両翼に王族等が配置する構えを見せた。 ティムールが祈りの後に「アッラー・アクバル」と叫ぶとともに戦いの火蓋が切られた。右翼の先陣のサイフ・ウッディーンが敵の左翼を打ち砕くと、ミーラーン・シャーの右翼軍がこれを一気に粉砕した。ムハンマド・スルタンの中央軍も敵中央軍を圧倒し、ウマル・シャイフの左翼軍は良く持ち堪えた。コンドゥルチャ川の戦い(英語版)はティムールの大勝利に終わり、トクタミシュは命からがら落ち延び、ボルガ河は敗残兵の死体で一杯になった。ティムールはジョチ・ウルスの新たな支配者としてティムール・クトゥルグとエディゲを任命して帰国したのであった。
※この「トクタミシュとの戦い」の解説は、「ティムールの征服戦争」の解説の一部です。
「トクタミシュとの戦い」を含む「ティムールの征服戦争」の記事については、「ティムールの征服戦争」の概要を参照ください。
トクタミシュとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 04:40 UTC 版)
詳細は「トクタミシュ・ティムール戦争(英語版)」を参照 1388年春にトクタミシュが本拠地のマー・ワラー・アンナフルに侵入したため、ティムールはやむなく西アジア方面での軍事活動を中断して中央アジアに帰還する。王子ウマル・シャイフが指揮する守備隊はトクタミシュの猛攻を凌ぎきれずアンディジャンまで後退し、サマルカンドとブハラは包囲を受けた。30,000の騎兵がサマルカンドの救援に向かい、ティムール自身も小部隊を率いてキシュに駆けつけると、トクタミシュは草原地帯に退却した。 1387年(もしくは1388年)にトクタミシュはスーフィー朝の君主スレイマンに反乱を唆しており、扇動に応じたスレイマンは挙兵した。モグーリスタンのカマルッディーンはトクタミシュと同盟して援助を受け、さらにティムールの姻族にあたる貴族ハージー・ベクがホラーサーン地方で反乱を起こし、ティムールは最大の危機を迎える。 1389年、ティムールはカマルッディーンを討伐するための本格的な軍事行動を起こした。イリ川を渡ったティムールはモグーリスタンの中心部に至り、カマルッディーンとイリヤース・ホージャの兄弟ヒズル・ホージャを撃破してウイグルスタンのトルファン近辺にまで達した。1390年の7回目のモグーリスタン遠征でティムール軍はモグーリスタンからカマルッディーンを放逐し、新たにハンに即位したヒズル・ホージャと和平を結んだ。 ホラズム地方に軍を返したティムールはウルゲンチを占領し、スレイマンはトクタミシュの元に逃亡した。ウルゲンチの住民はサマルカンドに連行され、町は一部を除いて徹底的に破壊され、更地に大麦の種が蒔かれた。1391年のキプチャク草原遠征の直前にティムールはウルゲンチを復興させる命令を発した。1391年1月にティムール軍はタシュケントを出発し、2月にティムールはクリルタイを開いて遠征に参加した将軍たちから計画の同意を得、彼らに軍令を発した。 2月5日、ティムールはウマル・シャイフが率いていた別動隊と共に、ホジェンドでトクタミシュ軍の前衛を撃破する。行軍の途上でジェズカズガン近辺にトクタミシュ討伐に向かう旨の碑文を建て、飢えと疲労に苦しみながらもトクタミシュに迫った。同年6月18日にコンドゥルチャ川でティムールはトクタミシュを破る(コンドゥルチャ川の戦い(英語版))。この戦闘はトクタミシュに痛手を与えたが、まだ彼は再起するだけの力を残していた。
※この「トクタミシュとの戦い」の解説は、「ティムール」の解説の一部です。
「トクタミシュとの戦い」を含む「ティムール」の記事については、「ティムール」の概要を参照ください。
- トクタミシュとの戦いのページへのリンク