火縄銃
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火縄銃(ひなわじゅう、英: Matchlock gun / Arquebus)は、初期の火器の形態のひとつで、黒色火薬を使用し、前装式で滑腔銃身のマスケット銃のうち、マッチロック式(火縄式)と分類される点火方式のものをさす。日本では小型のものを鉄砲、大型のものを大筒と称した。
注釈
- ^ 回転を与えられていない弾丸は、弾道が落下しやすい。
- ^ 人体や狩猟鳥獣などの柔らかい目標に命中すると、弾丸が大きく変形して短距離で運動エネルギーを消費し、単純に貫通するよりも傷口を大きく損傷させる。
- ^ 幕府はフランス式伝習隊や幕府歩兵隊を組織し、後に新政府軍の主力となった雄藩諸隊もまた洋式軍隊を組織した。
- ^ 第二次征長戦争時の幕府軍や、宇都宮戦争時の新政府軍の装備銃は火縄銃であった。
- ^ 現代の実包のように弾丸と装薬が一体になっているわけではなく、さらに弾丸の寸法の正確さも現代の火器ほどには求められない。
- ^ 西ヶ谷恭弘は、スイス国立武器博物館や大英博物館、ロンドン塔武器館などを見学したときの自身の記憶として、銃コレクションの良質なものの大半は和銃だったと記している[11]。
出典
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- ^ JapaneseWeapons.net-火縄銃の種類とサイズ
- ^ 広辞苑第五版、成語林(旺文社)による
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