スルタン・マフムード (西チャガタイ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 22:35 UTC 版)
スルタン・マフムード | |
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西チャガタイ・ハン国のハン | |
在位 | 1388年 - 1402年 |
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死去 | 1402年 |
家名 | オゴデイ家 |
父親 | ソユルガトミシュ |
スルタン・マフムード(? - 1402年)は、西チャガタイ・ハン国のハン(在位:1388年 - 1402年)。
生涯
ソユルガトミシュの子。
1388年に父が死去したため、後を継いだ。父ソユルガトミシュはティムールの武将として活躍した後ハンに擁立されており、マフムードも父の跡を襲ってハンとなり武将として活躍した[1]。マフムードはティムールに従ってインド遠征や7年戦役に従軍し、アンカラの戦いにも参加してオスマン朝のバヤズィト1世を捕らえるという功績を立てている[2][3]。だが、その直後に急死した。
マフムードの死をティムールは深く悼んだが、西チャガタイ・ハン国の君主はティムールによって擁立されることもなくなった。その理由は明確ではない[3]。
系図
脚注
注釈
出典
参考文献
- R.ラフナマリエフ(加藤九祚訳)「チムールの帝国」加藤九祚編『アイハヌム2008』2008年、東海大学出版会
- 川口琢司『ティムール帝国』2014年、講談社
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