スルタン・ヌール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/04 06:48 UTC 版)
スルタン・ヌール
نور سلطان
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生年月日 | 1971年8月20日 |
出生地 | ![]() |
出身校 | アレクサンドリア大学大学院体育科学修士課程修了 |
前職 | 自動車販売業 |
所属政党 | 無所属 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2021年7月20日 - 2025年7月15日[1] |
スルタン・ヌール(1971年8月20日[2] - )は、シリア生まれエジプト育ちの日本の政治家。庄内町議会議員(2期)を務めた。
山形県において初となる外国出身者の市町村議会議員[3]、またアラブ系イスラム教徒として初の地方議会議員である[4]。
来歴
1971年[2]、シリアに生まれる。4歳ごろから空手を習い、日本に興味を持った。12歳の時、エジプトに移り住む。 1994年には同国でエジプトスポーツ青年省国家公務員となり、1996-97年には水泳コーチとしてエジプトパラリンピック代表チームを率いた。
2000年にアレクサンドリア大学大学院体育科学修士課程を修了。スポーツ関係の省庁で国際協力機構(JICA)のプログラムの受け入れ責任者を務めていたが、その際、日本人から誘いを受け、2001年に訪日。山形県国際交流協会ゆとり山形国際友好大使に委嘱を受ける。2003年度は筑波大学大学院人間総合科学研究科体育科学で研究生。
2016年、シリア人女性との結婚を機に、山形県庄内町に移住する。田舎での生活に不便を感じ、引っ越しを考えるようになっていたが、町議会議員選挙(補欠)が行われることを知り、告示3日前に立候補を決めた。選挙はスルタンともう1人の新人2人の一騎打ち状態になったが、2021年7月18日の投開票[6]で600票の差をつけて当選した[5]。
2022年6月19日の選挙ではトップ当選を果たし二選[7]。
2025年7月、富樫透町長の任期満了に伴い、庄内町の町長選挙が告示された。スルタンは、この町長選挙に立候補を表明したため、町議会議員の職は7月15日付けで自動失職となった[1]。投開票の結果、現職の富樫透に及ばず落選した[8]。
※当日有権者数:16,358人 最終投票率:65.80%(前回比:2.64pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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富樫透 | 62 | 無所属 | 現 | 8,647票 | 81.34% | |
スルタン・ヌール | 53 | 無所属 | 新 | 1,984票 | 18.66% |
人物
- イスラム教徒であり、1日5回の礼拝を行う[6]。議会での初めての質問日は、議場横の部屋で礼拝を行った[5]。
- 「人事を尽くして天命を待つ」が好きな言葉[5]。
脚注
- ^ a b “議員の自動失職について(令和7年7月15日)”. 庄内町 (2025年7月16日). 2025年7月19日閲覧。
- ^ a b “町議会議員一覧”. 庄内町. 2022年12月2日閲覧。
- ^ “「外国人材活用を」 エジプト出身のスルタン氏当選 庄内町議補選”. 毎日新聞. (2021年7月20日) 2022年12月2日閲覧。
- ^ “アラブ系イスラム教徒で初 日本の町議会議員に”. ARAB NEWS. (2021年7月20日) 2022年12月2日閲覧。
- ^ a b c d 武藤雄大 (2021年9月22日). “シリア出身地方議員の奮闘記 町の意見はさまざまだけど”. 日本放送協会. 2022年12月2日閲覧。
- ^ a b “県内唯一の外国出身議員、スルタンさん初仕事…「日本人の心で頑張ってまいります」”. 読売新聞オンライン. (2021年7月29日) 2021年12月2日閲覧。
- ^ 令和4年6月19日執行 庄内町議会議員選挙 選挙結果庄内町
- ^ “シリア出身の元町議敗れる 山形・庄内町長選、2013年に帰化したスルタン・ヌール氏”. 産経新聞. (2025年7月20日) 2025年7月24日閲覧。
関連項目
- ビアンキ・アンソニー - アメリカ合衆国出身の元愛知県犬山市議会議員。
- 日本における外国人参政権
外部リンク
- スルタン・ヌール (@Soltan242512431) - X(旧Twitter)
- スルタン・ヌールのページへのリンク