スルタン・ムハンマド・バダルディン2世国際空港とは? わかりやすく解説

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スルタン・ムハンマド・バダルディン2世国際空港

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/06 17:11 UTC 版)

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スルタン・ムハンマド・バダルディン2世国際空港
Bandar Udara Internasional Sultan Mahmud Badaruddin II
Sultan Mahmud Badaruddin II International Airport
IATA: PLM - ICAO: WIPP
概要
国・地域  インドネシア共和国
所在地 南スマトラ州パレンバン
母都市 パレンバン
種類 公共
運営者 PT Angkasa Pura II
標高 14.9 m (49 ft)
座標 南緯2度54分1秒 東経104度42分0秒 / 南緯2.90028度 東経104.70000度 / -2.90028; 104.70000座標: 南緯2度54分1秒 東経104度42分0秒 / 南緯2.90028度 東経104.70000度 / -2.90028; 104.70000
公式サイト 公式サイト
地図
PLM/WIPP
空港の位置
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
11/29 3,000×45 コンクリート
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空港の一覧
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スルタン・ムハンマド・バダルディン2世国際空港 (スルタン・ムハンマド・バダルディン2せいこくさいくうこう、インドネシア語: Bandar Udara Internasional Sultan Mahmud Badaruddin II: Sultan Mahmud Badaruddin II International Airport)(IATA: PLMICAO: WIPP) は、インドネシアスマトラ島南スマトラ州パレンバンにある国際空港である。

概要

当空港は、パレンバンの市中心部から約15km北西の位置にある。パレンバンの最後のスルタンであるムハンマド・バダルディン英語版にちなんで名づけられた。

旅客ターミナルビルは1つで、国内線コンコースと国際線コンコースに分かれている[1]

歴史

1938年まで、パレンバンにはTalang Betutuインドネシア語版村に、無線や着陸用の計器など標準装備を備えた民間の空港が存在した。1942年から1943年に占領中の日本軍によって再建された。1963年7月15日、民間機と軍事機が共用する空港となった。1985年4月3日より、空港の名前はスルタン・ムハンマド・バダルディン2世国際空港と改められた。

1991年4月1日、当空港はManagement of Perum Angkasa Pura IIによって管理されるようになった。1992年1月2日からは、Management Perum Angkasa Pura IIは再編され、PT (Persero) Angkasa Pura II英語版となった。

インドネシアの体育大会ペカン・オラフラガ・ナシオナルの2004年大会が南スマトラ州にて開催された際、政府は当空港の規模を国際空港と同程度に拡大するよう求めた。新ターミナルは2005年9月27日に完成した。

就航航空会社と就航都市

国内線

航空会社 就航地
ガルーダ・インドネシア航空 スカルノ・ハッタ国際空港ジャカルタ)、ハン・ナディム国際空港バタム)、ングラ・ライ国際空港デンパサール)、クアラナム国際空港メダン)、デパチアミール空港(パンカルピナン
インドネシア・エアアジア クアラナム国際空港(メダン)
ライオン・エア スカルノ・ハッタ国際空港(ジャカルタ)、ハン・ナディム国際空港(バタム)、クアラナム国際空港(メダン)、デパチアミール空港(パンカルピナン)、チリック・リウット空港(パランカラヤ)、アジスチプト国際空港ジョグジャカルタ
バティック・エア スカルノ・ハッタ国際空港(ジャカルタ)、フセイン・サストラネガラ空港バンドン)、ングラ・ライ国際空港(デンパサール、休航中)
シティリンク ハリム・ペルダナクスマ国際空港(ジャカルタ)、ハン・ナディム国際空港(バタム)、ミナンカバウ国際空港パダン)、ジュアンダ国際空港スラバヤ)、フセイン・サストラネガラ国際空港バンドン)、
スリウィジャヤ航空 スカルノ・ハッタ国際空港(ジャカルタ)、デパチアミール空港(パンカルピナン)
エクスプレス・エア ラディン・インテン2世空港(バンダールランプン)、フセイン・サストラネガラ空港(バンドン)
スシ航空 スルタン・タハ空港(ジャンビ)、Atung Bungsu Airport(パガールアラム)

国際線

航空会社 就航地
ガルーダ・インドネシア航空 キング・アブドゥルアズィーズ国際空港ジッダ
シルクエアー シンガポール・チャンギ国際空港(シンガポール)
エアアジア クアラルンプール国際空港(クアラルンプール)

事故

  • 1975年9月24日、当空港に着陸進入中だったガルーダ・インドネシア航空フォッカー F28機がパレンバン付近で墜落。事故当時は深い霧で視界不良だった。この事故で、搭乗していた乗客・乗員併せて61人中25人と、地上にいた一般人1人が死亡した[2]。(ガルーダ・インドネシア航空150便墜落事故英語版

仮リンク

  • パレンバンLRT 開業予定

脚注

  1. ^ Airport Technical Information”. 2015年4月20日閲覧。
  2. ^ Accident description at the ASN”. Aviation Safety Network. 2015年4月24日閲覧。

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