オロスとは? わかりやすく解説

おろ・す【下ろす/降ろす】

読み方:おろす

[動サ五(四)

上から下に移動させる

㋐高い所から低い方へ移す。「屋根を—・す」「腰を—・す」⇔上げる。

操作によって物がおりた状態にする。下に垂らす。「ブラインドを—・す」⇔上げる。

㋒陸から水面に移す。「ボートを—・す」⇔上げる。

掲げたものを取り外す。「旗を—・す」「看板を—・す」

乗り物などから外へ出す。「駅前で客を—・す」「積み荷を—・す」

㋑(「堕ろす」とも書く)体外へ出す。堕胎する。「子を—・す」

神仏貴人・客などに供した物を下げる。また、お下がりをもらう。「膳を—・す」「供物(くもつ)を—・す」

生えているものを切ったり、そったりして落とす。「を—・す」「髪を—・す」

役職地位下げたり辞めさせたりする。「主役を—・される」

深部しっかりと伸ばす。「木が根を—・す」

料理のためにの肉を切り分ける。「アジ三枚に—・す」

㋑(「卸す」とも書く)下ろし金すり砕く。「わさびを—・す」

納めてある物や、あらかじめ作ってある物を取り出す

引き出す。「貯金を—・す」

衣類道具などの、新品初めて使う。「新調の服を—・す」

別の用途当てる。「古タオル雑巾に—・す」

10 扉をしめる。かぎをかける。とざす。「鎧戸(よろいど)を—・す」

11 製版印刷に回す。下版する。

12 神降ろしをする。

「この類の小さな神を招き—・す方式となっていたものであろう」〈柳田・山の人生

13 貴人の前から退出させる

「みな下屋(しもや)に—・しはべりぬるを」〈源・帚木

14 悪く言う。けなす。

「ここにても、また—・しののしる者どもありて」〈源・少女

15 高い所から風が吹く。吹き下ろす

三室山(みむろやま)—・す嵐の寂しきに妻よ鹿の声たぐふなり」〈千載・秋下〉

[可能] おろせる

[下接句] 錨(いかり)を下ろす・重荷を下ろす飾りを下ろす・頭(かしら)を下ろす・肩揚げを下ろす・髪を下ろす看板を下ろす錠を下ろす・根を下ろす・暖簾(のれん)を下ろす・箸(はし)を下ろす・筆を下ろす


おろ・す【卸す】

読み方:おろす

[動サ五(四)問屋商品小売店売り渡す。「定価の七掛けで—・す」

[可能] おろせる


おろ・す【織ろす】

読み方:おろす

[動サ四]動詞「お(織)る」の未然形上代尊敬助動詞「す」が付いた「おらす」の音変化》お織りになる。

「女(めどり)のわが王(おほきみ)の—・す機(はた)」〈記・下・歌謡


オロス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:52 UTC 版)

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オロスUrus, ペルシア語: اوروس خان Ūrūs Khān 〜 اُرس خان Urus Khān[1]、生没年 ? - 1377年)は、バトゥ家断絶後のジョチ・ウルスハン(在位 ? - 1377年)で、ジョチの十三男トカ・テムルの子孫である。15世紀の『ムイーン史選(Muntakhab al-Tawārīkh-i Muʿīnī)』の著者ムイーヌッディーン・ナタンズィーなど後代の歴史家によって、白帳(āq ūrda)ハンの第6代とされる。また、ティムールの伝記であるシャラフッディーン・アリー・ヤズディーの『勝利の書(Ẓafar Nāma)』では、オロスはジョチ・ウルスの当主としてはジョチから数えて第20代。16世紀初頭だがホーンダミールの歴史書『伝記の伴侶(Ḥabīb al-Siyar)』でも同じく第20代に数えられている[2]

出自

集史』ジョチ・ハン紀によれば、ジョチの十三男トカ・テムルにはバイ・テムル、バヤン、ウルン・テムル、キン・テムルの4人の男児がおり、この三男ウルン・テムル( اورنك تيمور Ūrunk Tīmūr)にはさら4人の男児、アジキ( اجيقی ajīqī/またはアジク اجق ajiq)、アリクリ(アズィクリ)、サリジャ、キラキズがいた。同書で長男アジキにはバフティヤール( بختيار bakhtiyār)という男児のみが言及されているが、ティムール朝時代に編纂された系図資料『高貴系譜』(Mu`izz al-Ansāb)によると、アジク(アジキ)にはバフティヤールの他にバーキーク( باقيق bāqīq?/またはマーキーク? ماقيق māqīq?)という兄弟が記されており、このバーキークの息子テムル・ホージャ( تيمور خواجه tīmūr khwāja)の息子バーディク( بادق bādiq/ يادق yādiq)の息子がオロスである。つまり、オロスは14世紀後半に多数いたトカ・テムル家の王族たちのうち、ウルン・テムル裔のアジキ家に属していたことになる。

略歴

バトゥ家の実質最後のハンであった第13代君主ベルディ・ベクが死去した14世紀半ば以降、ジョチ・ウルスの二つの根幹であったバトゥ家、オルダ家が相次いで断絶し、ジョチ・ウルスは宗主位を巡って激しい後継者紛争が続いた。オロス・ハンはオルダ家が統率していたジョチ・ウルス左翼を構成するジョチ裔トカ・テムル家の王族のひとりであり、オルダ家断絶後のジョチ・ウルス左翼の地域で徐々に頭角を現してウルスの再編を行っていた。

1368年スグナクでハン位につくと、バトゥ家とオルダ家が断絶して以来混乱の続くジョチ・ウルスを統合し、ウルスの左右両翼の再編を目指し、1372年 サライを占領する。しかしヴォルガ河流域を支配していたママイの勢力とは争わず、シルダリヤ方面に帰還する。1376年ティムールの支援を受けたトクタミシュの数次にわたる侵攻を受ける。以前、オロスは同じトカテムル家ウルン・テムル裔のサリチャの曾孫でマンギシュラク(カスピ海東岸)の長官トイ・ホージャと対立し、彼を殺害していた。ティムールと結んだトクタミシュはこのトイ・ホージャの息子であり、オロスはトクタミシュを年少の所以をもって助命したが、トクタミシュは脱走と帰順を繰り返した後にティムールの元に亡命していた。1度目は子のクトゥルク・ブカに迎え撃たせ、トクタミシュの撃退には成功したものの、クトゥルク・ブカが戦死を遂げる。2度目の侵攻では長男のトクタキヤが敗北するも、トクタミシュを負傷させ撤退に追い込んだ[3]。3度目はティムールが自ら兵を率いて攻めて来たが、オロスは部隊をオトラルに派遣し、オロス自身はスグナク(サウランとの説も)を固めて持久戦に持ち込んだ。冬の到来によって両者は休戦し、ティムールはケシュに帰還する。

1377年春、ティムールの再度の侵攻を迎え撃ち、ウストユルト台地で戦ったが、対陣中に没した。死因については自然死、あるいは負傷がもとで戦死したとする説がある[3]

祖父のエルゼンにならってスグナクに多数の建築物を寄進しているほか[3]ヒジュラ暦776年(1374年-1375年)、ヒジュラ暦779年(1377年-1378年)にサライで鋳造した貨幣が現存する。

子女

シャイバーニー朝初期の歴史書『勝利の書なる選ばれたる諸史(Tawārīkh-i Guzīda-yi Nuṣrat Nāma)』(1504年頃成立)に記録されているオロスの子女は以下のように男子が7名、女子が5名としている[4][3]

  • 男子
トクタキヤ
クトゥルク・ブカ
トゥグルク・プーラード
クユルチュク
トクタ・プーラード
サイイド・アフマド
サイイド・アリー
  • 女子
メングリ・ベク
シカル・ベク
スディ・ベク
イーラーン・ベク
メングリ・トゥルカン

トカ・テムル王家

  • ジョチ(Jöči >朮赤/zhúchì,جوچى خان/jūchī khān)
    • トカ・テムル(Toqa temür >توقا تیمور/tūqā tīmūr)
      • バイムル(Bayimur >بایمور/bāyimūr)
        • トガンチャル(Toγančar >توغانجار/tūghānjār)
          • サシ(Sasi >ساسی/sāsī)
            • Ⅰ?ノカイ(Noγai >نوقاى/nūqāy)=サシ・ブカと同一人物か
          • グラク(Buz γulaq >توغانجار/būz ghulāq)
      • ウルン・テムル(Urung temür >اورنك تيمور/ūrunk tīmūr)
        • アジキ(Ajiqi >اجيقی/ajīqī)
          • バーキーク(Baqiq >باقيق/bāqīq)
            • テムル・ホージャ(Temür khwaja >تيمور خواجه/tīmūr khwāja)
              • バディク(Badiq >بادق/bādiq)
                • オロス・ハン(Oros qan >اوروس خان/ūrūs khān)
        • サルチャ(Sarča >اجيقی/sārīja)
          • コンチェク(Gönčeg >کونجه/kūnjīk)
            • トゥグルク・ホージャ(Tuγluq khwaja >تيمور خواجه/tughluq khwāja)
      • キン・テムル(Kin temür >کين تيمور/kīn tīmūr)
        • アバイ(Abai >اباي/abāy)

脚注

  1. ^ ティムール朝時代のペルシア語資料では、オロスは اوروس Ūrūs 〜 اروس Urūs 〜 اُرس Urus と表記に揺れがある。『世界征服者史』や『集史』に現れる地名 اوروس ūrūs とはルーシのことであり、『元朝秘史』(巻12)では斡魯思と書かれ、orus〜orosと読まれた。そのため、彼の名前はアラビア文字表記からモンゴル語読みが推測され、日本語文献ではおおよそ「オロス」と読まれるようである。
  2. ^ 赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』294-295頁
  3. ^ a b c d S.G.クシャルトゥルヌイ,T.I.スミルノフ「カザフスタン中世史より」『アイハヌム2003』、71頁
  4. ^ 赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』493-495頁

参考文献

  • 川口琢司「キプチャク草原とロシア」(『岩波講座 世界歴史11―中央ユーラシアの統合』収録, 岩波書店.1997年11月)
  • S.G.クシャルトゥルヌイ,T.I.スミルノフ(加藤九祚・訳)「カザフスタン中世史より」『アイハヌム2003』(東海大学出版会 2003年
  • 赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』(風間書房, 2005年2月)
先代:
クトルク・ホージャ?
ジョチ・ウルスのハン
1377年
次代:
トクタキヤ

「オロス」の例文・使い方・用例・文例

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