紀元前7世紀から9世紀まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 08:13 UTC 版)
「アンドラの歴史」の記事における「紀元前7世紀から9世紀まで」の解説
紀元前7世紀から紀元前2世紀までのマドリウ渓谷の住民はイベリア人の文化からの影響を受けているため、アンドラの地名にアクイタニア語、バスク語、イベリア語の影響が窺える。「アンドシンス」に関する記述は紀元前2世紀の歴史家ポリュビオスの著作『歴史』にみられる。『歴史』におけるポエニ戦争の記述ではカルタゴ軍がピレネー山脈を越える際、アンドラの谷に先住民が居住しており、彼らを「アンドシンス」(Ἀνδοσίνους)と呼んだとされた。 カルタゴの滅亡以降は古代ローマ領ヒスパニアに組み入れられ、西ローマ帝国が衰退した後は西ゴート王国の支配下におかれた。西ゴート王国の統治期にはキリスト教がアンドラで広まった。
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