中山国
中山国
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中山国(ちゅうざんこく)は、戦国時代の中国で、現在の河北省中南部を中心とする一帯を領土とした国である。中山と改名する前は春秋時代以来の中原の北部にいた白狄が建国した都市国家で「鮮虞」という名で知られていた。当初は太行山脈の西側、つまり現在の山西省の黄土高原上にあったが、紀元前432年に文公が衆を率いて太行山脈を越えて華北平原上に降り、現在の河北省中部に中山国を建国した(ただし必ずしも旧領のすべてを放棄したわけではない)。武公は周の定王の孫であり、そのため異民族の国でありながら周王朝と同姓の「姫姓」の国であった。
- ^ “「戦国七雄」に次ぐ8番目の勢力「中山国」、特別展が成都市で開催 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News” (2019年7月29日). 2022年1月28日閲覧。 “中山国はまとまった史籍の記載がなく、人々に知られることも少なかったため、神秘の王国と呼ばれていたが、河北省石家荘市平山県の中山王陵や霊寿古城などの発見と発掘により、その全貌も明らかになってきた。”
中山国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 09:23 UTC 版)
諡号名在位年数在位中山文公 (? - 紀元前415年) 中山武公 9 (紀元前414年 - 紀元前406年) 中山桓公 39 (紀元前406年 - 紀元前406年)(紀元前478年 - 約紀元前340年) 中山成公 12 (約紀元前339年 - 紀元前328年) 中山王 15 (紀元前327年 - 紀元前313年) 中山王シシ (妾子)𧊒 14 (紀元前312年 - 紀元前299年) 中山王尚 尚 3 (紀元前298年 - 紀元前296年) 戴国 邢国 紀国 鄣国 蓼国 江国 賈国 鄧国 権国 頼国 息国 注:因歴史上對於息国的記載非常少,他的君主、国都和興亡年代已不可考。
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