ルキウス・コルネリウス・スキピオ (紀元前350年の執政官)とは? わかりやすく解説

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ルキウス・コルネリウス・スキピオ (紀元前350年の執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:16 UTC 版)

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ルキウス・コルネリウス・スキピオ
L. Cornelius P.f. Scipio
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 コルネリウス氏族
官職

執政官(紀元前350年)

監察官(紀元前340年)
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ルキウス・コルネリウス・スキピオラテン語: Lucius Cornelius Scipio、生没年不詳)は紀元前4世紀共和政ローマの政治家・軍人。紀元前350年執政官(コンスル)、紀元前340年には監察官(ケンソル)を務めた。

出自

パトリキ(貴族)であるコルネリウス氏族スキピオ家出身である。父のコグノーメン(第一名、個人名)はプブリウスで、おそらく紀元前395年の執政武官プブリウス・コルネリウス・スキピオである。プブリウスは歴史に登場する最初のスキピオ家の人物である。

経歴

紀元前348年、執政官選挙中にインテルレクス(期限5日の最高職)を務めた[1]

紀元前350年、スキピオは執政官に就任。スキピオ家としては最初の執政官である。同僚執政官はプレブス(平民)出身のマルクス・ポピッリウス・ラエナスであった[2]。このとき、ローマはガリアと戦争状態にあったが、スキピオは病気となってしまったため、ラエナスがローマ全軍の指揮を執ることとなった。

ラナエスはガリアに勝利して凱旋式を実施したが、そのときの負傷[3]のため翌年の執政官選挙を運営できず、選挙実施のためにルキウス・フリウス・カミッルスが独裁官に任命された。カミッルスはスキピオをマギステル・エクィトゥム(騎兵長官であるが、この場合は選挙の副管理人)に指名した。翌年の執政官に当選したのはカミッルスとアッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギッレンシスで、両者ともパトリキであった。ティトゥス・リウィウスは、このため市民は選挙結果に不満を持ったとしている[4]

紀元前340年には監察官(ケンソル)に就任。同僚は兄弟のプブリウス・コルネリウス・スキピオであった[5]

脚注

  1. ^ リウィウスローマ建国史』、VII, 21.
  2. ^ リウィウス『ローマ建国史』、VII, 23.
  3. ^ リウィウス『ローマ建国史』、VII, 24.
  4. ^ リウィウス『ローマ建国史』、VII, 25.
  5. ^ Cram, 1940, p. 81.

参考資料

関連項目

公職
先代:
ガイウス・スルピキウス・ペティクス V
ティトゥス・クィンクティウス・ポエヌス・カピトリヌス・クリスピヌス II
執政官
同僚:マルクス・ポピッリウス・ラエナス
紀元前350年
次代:
ルキウス・フリウス・カミッルス
アッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギッレンシス



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