王としての統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 04:56 UTC 版)
「オーラヴ1世 (ノルウェー王)」の記事における「王としての統治」の解説
997年オーラヴは、トロンハイムの議会に出席し、ハーコン・ヤールに対する反逆者達と初めて集会を開いた。トロンハイムはニド川が屈曲して流れてフィヨルドに注ぎ陸地は半島となって、背の低い防壁でも敵の攻撃から守りやすい土地であった。 オーラヴの野望はスカンディナヴィアをキリスト教で統合された土地とすることだったので、スウェーデン王妃であったシグリーズ(en)に結婚を申し入れたが、シグリーズの確固とした異教崇拝のために交渉は決裂した。オーラヴはシグリーズを敵とする替わりに、ためらうことなくデンマーク王スヴェン1世(シグリーズと再婚)との闘争に入った。スヴェン1世の妹タイアは兄王の権威を守るために異教徒の夫ブリスラフから逃れオーラヴと結婚したが、この結婚がデンマークとの対立の原因であった。 オーラヴのヴェンドランド出身の妃ゲイラとアイルランド出身の妃ギダはどちらもオーラヴに富と運をもたらしたが、タイアはそうではなかった。オーラヴは1000年にブリスラフからタイアの土地を取り戻そうと遠征したが、スウェーデン、デンマーク、ヴェンドランドの連合艦隊とさらにハーコン・ヤールの息子エイリーク・ハーコナルソンの船に、リューゲン島の近くのスヴォルド島沖で待ち伏せされた。スヴォルドの海戦と呼ばれるこの戦いはノルウェー軍の全滅に終わった。オーラヴは最後まで北欧最強と言われた旗艦「長蛇号」の上で戦い、最後は海に身を投じてそのまま見えなくなった。
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