アプスリー・ハウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 23:04 UTC 版)
アプスリー・ハウス (英: Apsley House) は、1778年に建てられたロンドンにあるウェリントン公爵家のタウンハウスである。"ロンドン一番地" (Number One, London) という愛称で知られている。ハイド・パークの南東に位置するハイド・パーク・コーナーにあり、正面にあたる南側は交通量の多いラウンドアバウトで、中心にウェリントン・アーチ (英語版) が建っている。第9代ウェリントン公爵 (英語版) は現在も建物の一部を使用していて、イギリス貴族のタウンハウスが建築当時のまま現存している例としては唯一の建物であると考えられる。イギリス指定建造物のグレードIに指定されており、現在イングリッシュ・ヘリテッジにより運営されている。
- ^ センターピースとは、卓上を飾る銀器やガラス器をいう[2] 。
- ^ インターレグナム (英: Interregnum) (英語版) とはラテン語で「帝政と帝政の間の期間」という意味で、ここでは1649年のチャールズ1世の死刑から、1660年のチャールズ2世の即位による王政復古までの期間を指す。
- ^ パーク・レーン (英: Park Lane) (英語版) は、シティ・オブ・ウェストミンスターの主要道路の一つ。
- ^ ワーテルロー (英: Waterloo) はベルギーの地名。ナポレオン戦争最後の戦いとなった "ワーテルローの戦い" で知られる。英語読みは"ウォータールー"。
- ^ バス・ストーン (英: Bath stone) は、炭酸カルシウムの顆粒状の粒子からなるウーイド (英: Ooid、鉱物や生物遺骸の上にマイクロメートル単位で規則的に発達した、直径2ミリメートル以下のアラレ石等からなる球状、または楕円体の粒子[7]) (英語版) を含む石灰岩をいう。
- ^ ポルトガルのリージェンシー・カウンシル (英: Regency Council) (英語版) とは、1917年9月に占領されたポーランドに、ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国によって設置された第一次世界大戦中の一時的な最高意思決定機関である。
- ^ Historic England. "Apsley House (1226873)". National Heritage List for England (英語). 2017年5月8日閲覧。
- ^ 世界大百科事典 第2版. センターピース 2017年5月8日閲覧
- ^ Knight, Charles, ed. (1851),Knight's cyclopædia of London , London. 2017年5月9日閲覧
- ^ イングリッシュ・ヘリテッジ HISTORY OF APSLEY HOUSE. ‘NUMBER 1, LONDON’ . 2017年5月10日閲覧.
- ^ Google Map. 149Piccadilly 2017年5月10日閲覧
- ^ a b c イングリッシュ・ヘリテッジ HISTORY OF APSLEY HOUSE. APSLEY HOUSE EXPANDS . 2017年5月10日閲覧.
- ^ 岩石学辞典 ウーイド 2017年5月10日閲覧
- ^ Timbs, John (1858). "Curiosities of London" . London.
- ^ a b ニコラウス・ペヴズナー "The Buildings of England" : London vol. I. ISBN 0-300-09653-4
- ^ Nicolson, Adam. "Heritage held hostage to class war" . Daily Telegraph. 2017年5月10日閲覧
- ^ "Duke of Wellington's 400-piece gilt dinner set laid out for first time" . elegraph.co.uk. 2017年5月10日閲覧
- ^ "Wellington Dinner Service Vase" . waterloo200.org.
- ^ イングリッシュ・ヘリテッジ "WELLINGTON’S TITIANS REVEALED TO BE REAL DEAL" 2017年5月11日閲覧
- 1 アプスリー・ハウスとは
- 2 アプスリー・ハウスの概要
- 3 歴史
- 4 美術所蔵品
- 5 脚注
- アプスリー・ハウスのページへのリンク