書体制作部門の混乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 02:06 UTC 版)
この間、1989年には鈴木勉や小林章など、文字開発部の主力デザイナーが一斉に退社し、その後も1990年代末にかけてデザイナーの退社が相次いだ。 創業者石井茂吉の三女で1963年からワンマン経営を続けていた社長の石井裕子自身は、没するまで書体制作には一度も携わったことはなかったが、文字開発のデジタル化に伴いワークステーション上での原字修整作業を可能にしたいとする文字開発部の要望を拒否し、デジタル化した原字データを再度アナログ出力し手作業で修整する従来の工程厳守を命じた。創業70周年の1995年に向けて開発中だった本蘭ゴシックファミリーは、石井の要求でデザインコンセプトの大変更を余儀なくされたことも重なり、70周年には間に合わなかった。石井はまた、この時期に提案された写研書体の自社システム以外での使用開放案も却下した。
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