虞世南とは? わかりやすく解説

ぐ‐せいなん【虞世南】

読み方:ぐせいなん

[558〜638]中国、唐初の名臣書家。余姚(よよう)(浙江(せっこう)省)の人。字(あざな)は伯施(はくし)。唐の太宗重用された。楷書にすぐれ、欧陽詢(おうようじゅん)・褚遂良(ちょすいりょう)とともに初唐三大家の一人。碑刻に「孔子廟堂碑」「汝南公主墓誌」。


虞世南

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 15:06 UTC 版)

虞世南

虞 世南(ぐ せいなん、永定2年(558年)- 貞観12年5月25日638年7月11日))は、中国書家政治家伯施越州餘姚県(現在の浙江省餘姚市)の人。初唐の三大家の一人。秦王府十八学士のひとりに挙げられた。

略歴

虞茘の子として生まれた。兄の虞世基とともに顧野王のもとで学んだ。太宗に仕え、弘文館学士、秘書監などに任じられた。

書家としての世南は、智永禅師に学び、楷書をよくし、その書風は「君子の書」と称された。書の作品としては『孔子廟堂碑』(こうしびょうどうひ)が著名。文集に『虞秘監集』がある。

書作品

孔子廟堂碑

建碑は、貞観3年(629年)前後で書体は楷書である。碑文によると、唐の太宗が文教復興の第一歩として、武徳9年(626年)、長安の国子監の孔子廟を再建することを命じ、虞世南はその命によって記念の碑文を撰し書した。しかしこの碑は、建立後間もなく貞観年中に火災に遭って破壊され、武則天長安3年(703年)に重刻(じゅうこく、模刻)したともいわれるが、これも今は失われて現存しない。現存するものに、唐時代の拓本を主とする拓本(三井文庫蔵)と別の唐時代の拓本から覆刻された2基の碑(陝西本と城武本)がある。

  • 陝西本(せんせいぼん)
初に、原本(唐の原石の拓本)から王彦超が覆刻したもの。西安碑林に現存するが、石は3つに割れている。
  • 城武本(じょうぶぼん)
元の至正年間(1341年 - 1367年)に、山東省定陶県黄河が決壊したときに出土した碑である。陝西本とは行数や空格(空欄)が異なっている。

概して両本を比較すると、城武本の方が原本の趣を伝えていると評される。原本は、全文2017字であるが、三井文庫所蔵の拓本は、唐刻の文字は1446字で、残りは陝西本で補っている。

昭仁寺碑

建碑は貞観4年(630年)で書体は楷書であり、40行、各行84字ある。碑は高さ2.58m、幅1.05mの大きなもので、碑文は朱子奢撰、筆者は古くから虞世南といわれているが確証はない。『等慈寺碑』と同じく、寺は貞観3年、太宗の詔によって戦没者の冥福のために建てられたもので、陝西省長武県城内にある。

著作

関連項目

参考文献




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