明神丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 15:33 UTC 版)
大黒屋の持ち船の弁才船。普段は京都・大坂と江戸を往復して古着を運ぶ。
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明神丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 04:32 UTC 版)
明神丸の標高は140.9m、本丸との高低差は3.4mで、本丸より明神丸が東北にあることから眺望がよい。二の丸とも呼ばれている。明神丸の周囲にはほぼ一周する細い帯曲輪が取り巻いている。また、北側の尾根からの侵入を防ぐための空堀と階段状の曲輪が配置され、北西方向にも二重の空堀が設けられている。またこの曲輪には「剣山遙拝所」があったという伝承があり、南西部分には礎石と基段が残っている。その形より拝殿、本殿の形成が整った建物があったと推定されている。また本丸と明神丸の間を繋げていた長さ64m、幅13mの削平した帯曲輪がある。本丸を防御の意味からも重要な曲輪であった。この南側に一ヵ所、帯曲輪への虎口がありそこは石段になっている。 これ以外の南城部分としては、倉庫曲輪があり標高89.7mに位置し、この曲輪は必ず平坦ではなく自然の尾根に少し手を加えた平地にした程度で、ここから炭化した穀物が出土している。また一宮城には数多い水に関する史料が見受けられる。『伊藤文章』、『森古伝記』、『太閤記』、『異本阿波志』などには、羽柴秀吉の四国攻めで「水の手」にからむ攻防戦が行われたとの記載がある。貯水池以外にも、本丸下に空井戸跡があり、また才蔵丸周辺に湧水跡がある。この湧水跡が当時の物かは不明だが、小さな水源は数多くあったと考えられている。
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