水の手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 09:17 UTC 版)
11月、信玄の命令を受けて家康の所領である三河国に侵攻していた山県昌景が信玄に合流した。しかし、武田軍の攻撃に進展はなく12月に入った。 信玄は力攻めでは二俣城を落とすことは無理と判断し、水の手を絶つ方法を考えた。二俣城には井戸が無く、天竜川沿いの断崖に井楼を設けて、釣瓶で水を汲み上げていたのである。そこで信玄は大量の筏を作らせて天竜川の上流から流させ、筏を井楼の柱に激突させて破壊するという策略を実行に移したのである。この作戦は成功し、大量の筏に激突された井楼の柱はへし折れて崩れ落ちてしまい、水の手は絶たれた。 信玄は水の手を絶った上で、開城を迫った。中根正照は万一に備えて桶に雨水を貯めるなどの工夫もしていたのだが、1200人もの人数にいつまでも持つわけがなく、そのため、正照は信玄に降伏・開城して浜松城に逃走している。こうして、二俣城は武田方に攻略されたのである。
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