みず‐ひき〔みづ‐〕【水引】
読み方:みずひき
1 細いこよりにのりをひいて乾かし固めたもの。進物用の包み紙などを結ぶのに用いる。ふつう数本を合わせて、中央から色を染め分ける。吉事の場合は紅と白、金と銀、金と赤など、凶事の場合は黒と白、藍と白などとする。
[補説] 結び目の形は目的によって使い分けられる。端を引くとほどけて結び直せる蝶結びは、出産・長寿など何度繰り返してもよい祝い事に、端を引いてもほどけない結び切りは、結婚・病気見舞い・弔事などの一度きりを願うものに用いる。鮑(あわび)結び(淡路結び)は結び切りに準ずる。
2 神前・仏前・御輿(みこし)などの上部に横に張った金襴などの幕。
3 「水引幕」の略。
5 タデ科の多年草。山野に生え、高さ50〜80センチ。多少枝分かれし、葉は広楕円形で互生し、葉面に黒い斑紋がある。8〜10月、細長い穂を伸ばして赤い小花をまばらにつけ、実は卵形で褐色。みずひきぐさ。《季 花=秋》「—の花が暮るれば灯す庵(いほ)/鬼城」
水引(水引き)
みずひき (水引)
水引
水引
水引
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 13:48 UTC 版)


水引(みずひき)は祝儀や不祝儀の際に用いられる飾りで贈答品の包み紙などにかける紅白や黒白などの帯紐[1]。水引は贈答品や封筒につけられる飾り紐のほか、鶴、亀、松などの置物や髪飾りとしても使用される装飾材料である[2][3]。
水引は紙縒(こより)に米糊を使用して光沢を出したものがもとになっており、独特の装飾結びとして発達した[4]。
水引の形態
水引には贈答品用と細工用がある[5]。色の組み合わせは400色以上にものぼる[3]。
贈答の水引
水引には、数、色、配置などに礼法があり、本来は陰陽五行思想に基づくもので、祝賀の水引には5、7、9の奇数を用いている[4]。色も紙縒(こより)が起源になっていたため、もとは白一色であったが、次第に紅白などの色分けができ、水引は色の染め分けや結び方によって吉凶で区別を行う作法がある[4]。
水引の結び方に対する解釈に関しては、もとは陰陽道の考え方が基本にあったが、時代に応じて考え方も変化しているとされる[6]。
- 真結び[7](真結[5])
- 結び切り[7]、こま結び[7]、本結び[7]ともいう。容易に解けず、水引の端を引くほど結び目が締まる[7]。結び直しがきかないため、婚礼や弔事(凶事)など二度あってほしくない場合に用いるとされる[5][7]。
- 両わな結び[8]
- 蝶結び[8](蝶結[5])、花結び[8](花結[5])ともいう。二つの輪があることから両わな結びといい、水引の端を引くと再び結び直すことができる[8]。そこから出産祝いや昇進祝いなど何度あっても良い慶事に用いられる[5][8]。
- あわじ結び[9]
- あわび結び[9](鮑結[5])、葵結び[9]ともいう。結び切りの一種[8]。
-
あわじ結び・熨斗なし
(香典袋(不祝儀袋)。葬儀で用いられる) -
あわじ結び・熨斗なし
(黄色と白の水引は、主に関西・北陸地方で法要の際に用いられる) -
両わな結び・熨斗あり
(慶事等に用いられる)
水引細工

水引細工(水引工芸)は江戸時代以降に発達したもので、水引を使って花籠、動物、器物などを造形して置物や武具飾りなどどする工芸である[4]。
歴史と産地
歴史
一説には小野妹子が隋から帰還する際に、隋の答礼使からの貢物に航海の無事と平穏を祈って紅白に染め分けた麻紐が結ばれていたのが起源とされる[3]。その後、紐の素材が麻から紙に変わり、平安時代の中期には髪を結う際にも同じ紙のひもが使われるようになった[3]。
室町時代以降になると結髪に用いられる元結(もとゆい)と贈り物に用いる水引は、使用法により明確に区別されるようになった[3]。
元結は江戸時代になると男性のちょんまげや女性の日本髪を結うための生活必需品として、日本全国で盛んに製造されたが、明治時代に入ると断髪令や洋髪の普及により元結の需要は大きく減少した[3]。そのため元結業者から製造工程が類似する水引生産に移った者も多く市場の開拓が進められた[2][3]。
1916年(大正5年)には石川県金沢市の津田左右吉が津田式水引折型を創案し、それまで平面的であった水引結びから鶴亀や松竹梅など立体的な水引細工を創作した[3]。
産地
- 飯田水引
- 長野県飯田市では原料の木材となるコウゾやミツマタ、さらに水が豊富であったことから、それを原料にした和紙作りが盛んであった[2]。江戸時代には飯田藩主堀親昌により殖産興業の一環として丈夫で水にも強い飯田台帳紙を活用した元結の製造が始まり、美濃から移住した稲垣幸八や桜井文七の努力もあって大きく発展した[2]。明治維新後の断髪令で元結の消費量が減少するとともに水引の需要が増加したため、飯田では元結の製造に代わって光沢のある丈夫な水引を作り出して市場の開拓に努めた[2]。
- 伊予水引
- 愛媛県の四国中央市は飯田水引とともに水引の二大産地となっている[3]。もともと紙の産地であったが江戸中期の元禄年間に元結の製造が始まった[3]。そのきっかけについては、旧伊予三島市村松町や旧川之江市妻鳥町の新浜海岸において信州から来た職人が始めたとする説や阿波または土佐より伝えられたとする説がある[3]。
- 加賀水引
- 先述の津田左右吉が創始した水引折型を受け継いでおり、立体的な水引の発祥とされている[10]。

備考
結納の時には、水引で編んだ半ば結納飾りが添えられる(省略されることもある)。 結納品の場合、松・竹・梅・鶴・亀の飾りや、宝船や海老、鯛、くす玉、小槌、蝶などの縁起物が選ばれることが多い。 神職が金品などを贈る場合に麻苧を結ぶ風習がある[11]。
出典
- ^ “意匠分類記号 F3-13181(水引、のし等)” (PDF). 意匠分類定義カード (F3). 特許庁. p. 31. 2014年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月4日閲覧。
- ^ a b c d e 梶原 勝美「ケーススタディ:地場伝統産業水引のブランド、長野県飯田市(株)田中宗吉商店の「御国」」『専修大学社会科学研究所月報』第611-612巻、専修大学社会科学研究所、2014年6月20日、69-80頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 淡野 寧彦、井坂 万由「愛媛県四国中央市における水引産業の存続形態」『愛媛大学社会共創学部紀要』第3巻第2号、専修大学社会科学研究所、2019年、25-38頁。
- ^ a b c d 前田 和實「飯田水引と提言」『専修大学社会科学研究所月報』第611-612巻、専修大学社会科学研究所、2014年6月20日、81-90頁。
- ^ a b c d e f g 大妻コタカ『折紙と水引』文光社、5-6頁 。
- ^ 長浦 ちえ『日本水引: 結ぶ、祈る、贈る、日本のかたち』誠文堂新光社、78頁。
- ^ a b c d e f 長浦 ちえ『日本水引: 結ぶ、祈る、贈る、日本のかたち』誠文堂新光社、70頁。
- ^ a b c d e f 長浦 ちえ『日本水引: 結ぶ、祈る、贈る、日本のかたち』誠文堂新光社、71頁。
- ^ a b c 長浦 ちえ『日本水引: 結ぶ、祈る、贈る、日本のかたち』誠文堂新光社、72頁。
- ^ “加賀水引展”. 石川県伝統産業工芸館. 2025年7月16日閲覧。
- ^ 『祀典』大谷書舎2006年9月27日発行全762頁中324頁
関連項目
外部リンク
「水引」の例文・使い方・用例・文例
水引と同じ種類の言葉
- >> 「水引」を含む用語の索引
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