花傘鉾神事とは? わかりやすく解説

花傘鉾神事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 03:56 UTC 版)

八幡鶴市神社」の記事における「花傘鉾神事」の解説

8月最終の土、日曜日2日間にわたって中津平野を巡る神幸祭が行われる。神幸お鶴小市郎の霊を慰めと共に当年豊作祈願するためのものとされ、長寛2年1164年)に始められた。輿丁神輿担ぎ手)には、お鶴小市郎が井手込められる際に載せられ白木の輿を担いだの子孫が当てられたという。明治維新まで湯屋(現中津市大字湯屋)、藍原万田(同万田)、高瀬村(同高瀬)の4箇による祭礼で、藍原から10本、湯屋から鉄砲10挺、万田から弓10張、高瀬村から毛槍10振が出て神輿供奉し、藩庁から警固のための臨監役も派遣され大名行列等しい厳重さ呈していた。 延宝8年1680年以降はこれに傘鉾供奉するようになったといい、維新後中津平野位置して大井手灌漑の益に浴する市内14大字加わり、計19大字神幸の際に高瀬北高瀬と南高瀬分かれる)が傘鉾を1基宛出して参加するになった祭日古く10月25日お鶴小市郎の忌日である8月15日であったが、後に8月1、2両日となり、さらに8月2425両日改められ昭和54年1979年)から参加者集まりすいよう現行の8月最終土、日曜日とされた。 祭礼初日本殿での祭典後に神霊神輿に遷し、午前9時に10基の傘鉾神輿先導して神社出発途中大字下池永で更に9基の傘鉾合流して市内19各大字一巡する形で巡幸おおよそ30キロから40キロに及ぶ神幸が行われ、22時頃に大井手のある河原鎮座地のおよそ300メートル北方)に設えられた行宮(御旅所)に着御して一夜を過ごす。2日目19時半19基の傘鉾河原堤防上に整列して行宮祭を斎行し、その後神輿山国川対岸まで渡る「川渡り」が行われ、21時半頃に本殿還御する。なお、巡幸順路傘鉾並び順毎年籤で決められるが、8人から成る輿丁大字湯屋の者が当てられ神輿最も近い最後尾傘鉾湯屋のそれと定められている。 傘鉾は2名で担ぐ太鼓載せた台と、頂上御幣挿した轆轤付けて周囲には赤色羅紗地の水引幕張り廻らした大傘とから成り(ただし傘鉾平成7年1995年)の少し以前から担ぎ手不足により荷車載せて曳行する形となった)、それぞれに太鼓打手1名、笛2名、チャンガラ(摺鉦)2名の楽員付いて祭囃子奏でながら供奉する。大傘水引描かれる図案大字毎に異なり中には金糸銀糸等で豪華に刺繍されたものも見られるまた、大傘頂部轆轤から竹籤垂らしてそれに紙製種々の色の造花付け、それが水引模様を隠す程に多く目立つために「花傘鉾」とも称されるが、花を多く付け工夫平成7年1995年)少し以前からの趣向である。 本神事は昭和56年1981年)に市の文化財に指定された後、平成21年2009年)には県の無形民俗文化財指定された。

※この「花傘鉾神事」の解説は、「八幡鶴市神社」の解説の一部です。
「花傘鉾神事」を含む「八幡鶴市神社」の記事については、「八幡鶴市神社」の概要を参照ください。

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