石崎汽船とは? わかりやすく解説

石崎汽船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/16 02:20 UTC 版)

石崎汽船株式会社
Ishizaki Kisen Co.,Ltd.
石崎汽船本社のある松山観光港ターミナル
種類 株式会社
略称 ISHIZAKI
本社所在地 日本
791-8081
愛媛県松山市高浜町5丁目2259-1
松山観光港ターミナル
設立 創業:1862年文久2年)8月
設立:1918年大正7年)7月
業種 海運業
法人番号 6500001000538
代表者 代表取締役社長 清水 一郎
主要株主 (株)伊予鉄グループ
関係する人物 庄兵衛
外部リンク http://www.ishizakikisen.co.jp
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国の登録有形文化財である旧本社の建物(木子七郎設計)

石崎汽船株式会社(いしざききせん)は、愛媛県松山市に本社を置く海運会社である。 創業150年を超える老舗の旅客船事業者であり、伊予鉄グループの関連会社である。

沿革

  • 1862年文久02年) - 新浜村(現:松山市高浜)の庄兵衛が廻船業を興す[1]
  • 1864年元治元年) - 庄兵衛が死去するが、以後の後継ぎも「庄兵衛」を名乗る。
  • 1869年明治02年) - 庄兵衛(創始者の孫にあたる)が「石﨑庄兵衛」を名乗り始める。
  • 1873年(明治06年)6月 - 外輪船「天貴丸」を輸入し、愛媛県内で旅客船営業を始める[2]
  • 1890年(明治23年)11月 - 三津浜広島間 定期航路開始。
  • 1891年(明治24年)2月 - 徳山の船会社から「第一相生丸」を購入する。以後、購入・建造する船は「第○相生丸」と命名されるようになる。
  • 1903年(明治36年)8月 - 三津浜 - 尾道航路開設。
  • 1918年大正07年)
    • 5月5日 - 白石ノ鼻沖で第四相生丸が沈没、修学旅行帰りの小学生ら50名死亡[3][4]
    • 8月3日 - 石崎汽船株式会社設立[5]
  • 1924年(大正13年)12月 - 石崎汽船旧本社屋落成。
  • 1943年昭和18年)6月 - 戦時徴用中の第十相生丸がマニラ港外で座礁し、そのまま放棄[6]
  • 1944年(昭和19年)10月 - 松山 - 尾道航路休止(燃料不足のため)[7]
  • 1945年(昭和20年)4月 - 石炭輸送中の第十一相生丸が福岡県恒見沖で触雷沈没[6]
  • 1946年(昭和21年) - 第十二相生丸と第十六相生丸が占領軍に徴用される[8]
  • 1948年(昭和23年)7月 - 松山 - 尾道航路再開[9]
  • 1965年(昭和40年)5月 - 松山 - 広島航路にフェリー導入。
  • 1966年(昭和41年)8月 - 松山 - 広島航路に水中翼船導入。
  • 1969年(昭和44年)5月 - 松山 - 尾道航路に水中翼船を導入。9月伊予鉄道近畿日本鉄道(いずれも当時の社名)が資本参加(2005年に近鉄グループを離脱[10])。
  • 1971年(昭和46年)3月5日 - 松山 - 尾道航路に高速船を導入(四国内と本州の鉄道との連絡航路として利用された)。
  • 1975年(昭和50年)5月 - 松山 - 三原航路を開設(瀬戸内海汽船・昭和海運との共同運航)。山陽新幹線との連絡航路として利用された。
  • 1979年(昭和54年)11月27日 - 松山 - 尾道航路に就航していた高速船を水中翼船に置き換え。
  • 1988年(昭和63年)6月15日 - 松山 - 三原航路が、瀬戸大橋開通による航路再編に伴い廃止[11]
  • 1993年平成05年)12月25日 - 松山 - 広島航路に就航していた水中翼船を、高速船「スーパージェット」に置き換え。
  • 1998年(平成10年)3月 - 松山 - 門司北九州市)航路に「スーパージェット」の大型タイプである「シーマックス」を導入・就航。
  • 1999年(平成11年) - 松山 - 尾道航路が、しまなみ海道開通による航路再編に伴い廃止されたほか、松山 - 広島航路を縮小する。
  • 2001年(平成13年)4月24日 - 本社の建物が登録有形文化財に登録[12]
  • 2004年(平成16年)
    • 2月 - 「シーマックス」(松山 - 門司)の下関港寄港を開始する(2006年5月以降は休止)。
    • 4月27日 - 中島町営汽船の経営を引き継ぎ、傘下に中島汽船株式会社[13]を設立。
    • 10月1日 - 中島汽船営業開始。
  • 2008年(平成20年)
    • 1月15日 - 「シーマックス」(松山 - 門司)廃止。
    • 3月10日 - 松山 - - 広島の「スーパージェット」が、1日15往復から14往復に減便(フェリー便は現状維持)。
  • 2009年(平成21年)10月31日 - 瀬戸内海汽船とともにICい〜カードPASPYを導入、供用開始。ICOCAの共通利用も開始。
  • 2013年(平成25年)
  • 2019年令和元年)10月11日 - 3代目旭洋丸就航[15]
  • 2020年(令和2年)8月1日 - 2代目翔洋丸就航[16]

歴代社長

  • 初代 石崎兵太郎(1918年 - 1931年)[17]
  • 2代 石崎仙太郎(1931年 - 1975年)
  • 3代 石崎洋一郎(1975年 - 1989年)
  • 4代 武井正(1989年 - 1995年)
  • 5代 一色昭造(1995年 - 2015年)
  • 6代 清水 一郎(2015年 - )[18]

航路

呉港中央桟橋
高速船「スーパージェット」およびクルーズフェリーを瀬戸内海汽船共同運航[注釈 1]

廃止航路

  • 松山港 - 尾道港(1903年 - 1999年)
しまなみ海道の開通により航路廃止、年間利用者数5万人(1995年)。
瀬戸大橋の開通により航路廃止、年間利用者数13万人(1985年)。
高速船「シーマックス」。

船舶

就航中の船舶

フェリー
  • 旭洋丸 (3代)
2019年(令和元年)7月5日進水、同年9月26日竣工、同年10月11日就航、内海造船瀬戸田工場建造
875総トン、全長62.2m、幅13.0m、深さ9.10m、ディーゼル×2基、出力2,600PS、航海速力14.8ノット、旅客定員300名、乗用車33台または12mトラック6台、15mトラック2台
  • 翔洋丸 (2代)
2020年3月26日進水、同年7月15日竣工、同年8月1日就航、内海造船瀬戸田工場建造
871総トン、全長62.6m、幅13.0m、深さ9.1m、ディーゼル×2基、出力2,400PS、航海速力14.8ノット、船客定員300名、乗用車33台または12mトラック6台、15mトラック2台
高速船
高速船「瑞光」(呉港)
高速船「祥光」(松山観光港)
  • 瑞光(スーパージェット30)
1993年(平成5年)12月25日就航、日立造船神奈川工場建造
189総トン、全長33.8m、幅9.8m、深さ3.5m、ディーゼル×2基、出力5,000PS、航海速力32.0ノット、旅客定員156名
  • 祥光(スーパージェット30)
1994年4月25日就航、日立造船神奈川工場建造
189総トン、全長33.8m、幅9.8m、深さ3.5m、ディーゼル×2基、出力5,000PS、航海速力32.0ノット、旅客定員156名

過去の船舶

客船
  • 第三相生丸
95.75総トン、全長28.76m
  • 第四相生丸
161総トン、1903年(明治36年)進水
  • 第五相生丸
99.99総トン、全長28.12m
  • 第六相生丸
119.02総トン、全長31.27m
  • 第七相生丸
112.26総トン、全長28.55m
  • 第八相生丸
1919年(大正8年)進水、石崎汽船造船部建造
121.88総トン
  • 第十相生丸
1921年進水、向島船渠建造
207.82総トン
  • 第十一相生丸
1922年進水、向島船渠建造
208.22総トン
  • 第十二相生丸
1922年進水、向島船渠建造
290.04総トン
  • 第十五相生丸
1924年進水、三菱造船(長崎)建造
325総トン
  • 第十六相生丸
1938年(昭和13年)購入
90.14総トン
  • 第十七相生丸
  • 第十八相生丸
1957年進水、波止浜造船建造
336総トン
  • 春洋丸
1962年進水、波止浜造船建造
297総トン
  • 錦洋丸
1964年進水、波止浜造船建造
251総トン
フェリー
  • 旭洋丸 (初代)
1965年進水、神田造船所建造、1983年9月海外売船[19]
494総トン
  • 観洋丸
1968年進水、同年7月就航、神田造船所建造、1988年6月解体、旭洋丸(初代)の同型船
496.15総トン、全長44.6m、幅11.06m、深さ3.6m、ディーゼル2基、出力1,700PS、航海速力13.8ノット、旅客定員450名、トラック12台[19]
  • 恵洋丸
1973年6月竣工、同年7月就航、中村造船建造、1990年6月海外売船
652.88総トン、全長48.7m、幅11m、深さ3.8m、ディーゼル2基、出力2,000PS、航海速力13.99ノット、旅客定員305名、乗用車6台、トラック12台[19]
  • 晴洋丸
1983年9月竣工、就航、神田造船所建造、1999年海外売船
699総トン、全長48.3m、幅11.6m、深さ3.8m、ディーゼル2基、出力2,000PS、航海速力13.86ノット、旅客定員370名、乗用車6台、トラック12台[19]
  • 旭洋丸 (2代)
1987年6月竣工、神田造船所川尻工場建造
696総トン、全長55.9m、幅13.1m、深さ3.35m、ディーゼル×2基、出力2,600PS、航海速力14.5ノット、旅客定員400名、乗用車40台
  • 翔洋丸 (初代)
1990年7月竣工、神田造船所川尻工場建造
696総トン、全長55.9m、幅13.1m、深さ3.35m、ディーゼル×2基、出力2,600PS、航海速力14.5ノット、旅客定員400名、乗用車40台
水中翼船
1966年竣工、日立造船神奈川工場建造、1997年12月引退、大和ミュージアムで屋外保存されていたが、2014年に撤去、解体された。
63.75総トン、最大速力37.0ノット、旅客定員72名
1970年竣工、日立造船神奈川工場建造、1999年5月9日引退
62.87総トン、最大速力37.1ノット、旅客定員66名
1981年竣工、日立造船神奈川工場建造
56.75総トン、最大速力36.9ノット、旅客定員69名
61.67総トン、旅客定員69名[20]
129.80総トン、全長27.54m、幅5.84m、深さ3.56m、航海速力35.0ノット、旅客定員126名[20]
131.86総トン、航海速力35.0ノット、旅客定員125名[20]
129.36総トン、航海速力35.0ノット、旅客定員123名[20]
高速船
  • 晴光
1971年竣工、三保造船所建造
68.5総トン、全長20.4m、幅4.6m、旅客定員70名
1998年2月27日竣工、同年3月就航、日立造船神奈川工場建造、2008年1月15日引退
284総トン、全長39.5m、幅11.4m、深さ3.7m、喫水1.85m、高速ディーゼル×4基、ウォータージェット×2基、最大速力45.18ノット、旅客定員200名

脚注

注釈

  1. ^ 同共同運航は、海上運送法第28条に基づくものであり、独占禁止法の適用を除外されている。

出典

  1. ^ データベース「えひめの記憶」 - 愛媛県生涯学習センター、2015年6月13日閲覧。
  2. ^ まつやま 人・彩時記 (PDF) [リンク切れ] - 松山市文化協会
  3. ^ 『海に生きる 石崎汽船史』 127-128頁
  4. ^ 芳野勝正 『和気の昔語り』 1984年、116-117頁
  5. ^ 『海に生きる 石崎汽船史』 125-126頁
  6. ^ a b 『海に生きる 石崎汽船史』 45頁
  7. ^ 『海に生きる 石崎汽船史』 202-203頁
  8. ^ 『海に生きる 石崎汽船史』 47頁、49頁
  9. ^ 『海に生きる 石崎汽船史』 215頁
  10. ^ 『近畿日本鉄道100年のあゆみ』763頁 近畿日本鉄道2010年
  11. ^ a b “三原-松山間 水中翼船 あす廃止 JR瀬戸大橋線に食われる”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1988年6月14日) 
  12. ^ 石崎汽船本社 いしざききせんほんしゃ - 文化遺産オンライン、2021年7月16日閲覧。
  13. ^ 会社概要 - NAKAJIMA、2021年7月16日閲覧。
  14. ^ “松山-小倉フェリー航路存続へ”. 日本経済新聞. (2013年2月22日). https://www.nikkei.com/article/DGXNZO52037040S3A220C1LA0000/ 2013年2月27日閲覧。 
  15. ^ “災害対応の新造フェリー 松山―広島の石崎汽船”. 日本経済新聞. (2019年10月10日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50848270Q9A011C1LA0000/ 2019年10月11日閲覧。 
  16. ^ 最新型フェリー「 翔洋丸 しょうようまる」就航のお知らせ (PDF) - 石崎汽船株式会社
  17. ^ 海に生きる:石崎汽船史 - CiNii、2011年3月22日閲覧。
  18. ^ “石崎汽船社長に伊予鉄道・清水氏 20年ぶり交代”. 日本経済新聞. (2015年9月4日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASFB04H09_U5A900C1EAF000/ 2015年9月6日閲覧。 
  19. ^ a b c d 世界の艦船別冊 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで- P.244 海人社 2009
  20. ^ a b c d 全国フェリー・旅客船ガイド 1987年上期号 PP.189,532,535 日刊海事通信社 1986

参考文献

  • 石崎汽船株式会社 『海に生きる 石崎汽船史』 1995年

関連項目

外部リンク

ウェブサイト
SNS

座標: 北緯33度51分54.9秒 東経132度42分41.17秒 / 北緯33.865250度 東経132.7114361度 / 33.865250; 132.7114361


石崎汽船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/04 04:49 UTC 版)

シーマックス」の記事における「石崎汽船」の解説

同社は、松山港 - 尾道港一時宮浦港大三島)、瀬戸田港生口島)へ寄航)間の水中翼船航路有していたが、本州四国連絡橋整備により、松山方面から同航路利用して広島県東部へ向かう人や、新幹線乗り換えて関東関西方面へ向かう人が本州四国連絡橋経由シフトしたため、需要減少した。そのため架橋関連航路運航事業者対す対策交付金受けて北九州との間に航路開設するために本船建造し1998年3月松山観光港 - 門司港間で運航開始した一隻での運航で、朝松山港出て一日往復するシャトル運航形態取り冬季閑散期にはドック入りによる休航期間を設けていた。 当初門司港までの運航だったが、2004年2月下関港唐戸桟橋まで延航した。しかし、2006年5月乗降客伸び悩みにより下関港までの延航を中止したその後燃料費高騰影響収支悪化したため、2008年1月15日区間わたって航路廃止した。 なお同社は、「シーマックス以前から、松山港 - 広島港一部便は呉港寄航)にて同形式の高速艇瀬戸内海汽船本社広島市)との共同運航で「スーパージェット」の愛称運航している。

※この「石崎汽船」の解説は、「シーマックス」の解説の一部です。
「石崎汽船」を含む「シーマックス」の記事については、「シーマックス」の概要を参照ください。

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