宿院停留場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/19 14:34 UTC 版)
| 宿院停留場 | |
|---|---|
|
ホーム(2016年7月)
(左は浜寺駅前方面、右は恵美須町方面) |
|
| しゅくいん SHUKUIN |
|
|
◄HN22 大小路 (0.4 km)
(0.4 km) 寺地町 HN24►
|
|
| 所在地 | 堺市堺区大町西1丁 |
| 駅番号 | HN23 |
| 所属事業者 | 阪堺電気軌道 |
| 所属路線 | ■阪堺線 |
| キロ程 | 9.4 km(恵美須町起点) 天王寺駅前から9.2 km |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 2面2線 |
| 開業年月日 | 1912年(明治45年)3月5日 |
宿院停留場(しゅくいんていりゅうじょう)は、大阪府堺市堺区にある阪堺電気軌道阪堺線の停留場。駅番号はHN23。
フェニックス通り(国道26号)との交差点に位置している。駅名の由来は、駅南東にある「宿院頓宮」から。
歴史
1911年(明治44年)に恵美須町 - 市ノ町(現在の大小路)間が開業した阪堺線が、少林寺橋(現在の御陵前)まで延伸された1912年(明治45年)に当駅が開業した。同年、当駅から分岐して大浜海岸(現在の大浜公園付近)までの大浜線が開業した。しかし、大浜線は1945年(昭和20年)の堺大空襲で不通となり、1949年(昭和24年)に休止されている。
年表
- 1912年(明治45年)
- 1915年(大正4年)6月21日:阪堺電気軌道が南海鉄道に合併。
- 1944年(昭和19年)6月1日:会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
- 1947年(昭和22年)6月1日:路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
- 1949年(昭和24年)3月3日:戦災で不通になっていた大浜線が休止。
- 1980年(昭和55年)
- 2016年(平成28年)1月31日:停留場の移設等が行われ、大浜公園の「潮湯」の建物デザインを模した屋根も設置された。
停留場構造
大道筋中央部に立地し、単式ホームが宿院交差点を挟んで互い違いに配置(千鳥式配置)されている。浜寺駅前方面のりばが宿院町東1丁に、恵美須町方面のりばが大町東1丁に位置する。
かつては宿院交差点南西側に定期券発売所があり、堺市における阪堺線の基幹駅であったが、現在は他の堺市内の駅と同格の扱いになっている。
2015年(平成27年)内に停留場の改修として、のりばの移設(浜寺駅前方面のりばを大町から宿院町へ、恵美須町方面のりばを宿院町から大町へ移設)・停留場拡幅・大浜線で結ばれていた大浜公園の「潮湯」の建物デザインを模した屋根の採用などが実施された[2]。
-
ホーム(2007年10月、改修工事前)
-
ホーム(2015年12月、改修工事中)
-
ホームの後ろ側(2016年8月、改修工事後)
停留場周辺
バス
南海バス(宿院停留所)
<交差点西側・東行>
- 23 堺東駅前、阪和堺市駅前経由 河内松原駅前行き
- 131 三国ヶ丘駅前(南側)、中もず駅前、西小学校前経由 北野田駅前行き
- 132 三国ヶ丘駅前(南側)、中もず駅前、福町経由 北野田駅前行き
- 132C 三国ヶ丘駅前(南側)、中もず駅前経由 下出口止め(福町の1つ手前が終点)
- 33 中もず駅前経由 初芝駅前行き
- 35・35V・36・36V 三国ヶ丘駅前(北側)経由 地下鉄新金岡駅前行き
- 各系統で労災病院前、近畿中央呼吸器センター前経由の有無が異なる
- 37・37V・38 三国ヶ丘駅前(北側)、地下鉄新金岡駅前経由 阪和堺市駅前行き
- 各系統で労災病院前、近畿中央呼吸器センター前経由の有無が異なる
<交差点西側・西行>
- 23 堺駅前行き
- その他 堺駅南口行き
<交差点南側・南行き>
- 21 御陵前、栄泰橋経由 堺東駅前方面(南循環線右回り)
隣の停留場
- ()内は駅番号を示す。
脚注
- ^ 「私鉄年表」『私鉄車両編成表 -全国版- '81年版』ジェー・アール・アール、1981年4月1日、122頁。
- ^ “堺市発表”. 2016年2月6日閲覧。、“平成28年1月31日(日)にダイヤ変更を実施します”. 阪堺電気軌道. 2016年2月6日閲覧。
関連項目
- 宿院停留場のページへのリンク