南海鉄道への譲渡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 10:24 UTC 版)
「阪堺鉄道浪花形蒸気機関車」の記事における「南海鉄道への譲渡」の解説
阪堺鉄道は、大阪と和歌山を結ぶ鉄道を計画した南海鉄道に事業を譲渡することとなり、本形式もそれに先立つ1897年(明治30年)に南海天下茶屋工場で、838mm軌間から1,067mm軌間に改軌して動輪径を1,067mmに拡大したうえ、翌1898年(明治31年)に南海鉄道に譲渡された。南海鉄道では、各機の名称はそのままで5形と称したが、1900年に上記の順に16 - 19に改称された。 本形式は、南海鉄道の機関車の中で最も早く処分された。シリンダーのストロークをそのままに動輪径を拡大したため、駆動系に無理がかかり、それが廃車を早めたのではないかと推定されている。 廃車は、17が1904年(明治37年)8月、19が同年11月、18が1905年(明治38年)4月、16が同年6月で、いずれも汽車製造を経由して八幡製鉄所に譲渡された。
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