南海電気鉄道キハ5501形・キハ5551形
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「国鉄キハ55系気動車」の記事における「南海電気鉄道キハ5501形・キハ5551形」の解説
南海電気鉄道では、戦前の南海鉄道時代より鉄道省からの借り入れ客車を自社線内は電車で牽引、和歌山からは鉄道省の客車列車に併結するという形態で紀勢西線への直通運転を実施していた。戦後は自社発注で国鉄制式客車と同等のサハ4801形客車を新造してこの直通運転を再開した。 その後、1959年に国鉄紀勢本線が全通すると南海本線からの直通列車の需要増が予想された。このため、新たに設定された紀勢線気動車準急「南紀」に併結して南紀方面への直通運転を実施すべく、キハ55形に準じたエンジン2基搭載車を自社発注で新造することとなった。これが片運転台車のキハ5501形と両運転台車のキハ5551形である。 基本的に国鉄キハ55形100番台と共通設計であるが、座席指定列車として運行される関係でキハ5501形と定員を同一にすることが要請された。このため両運転台のキハ5551形は出入台部とその座席配置に独自設計が施されており、国鉄車にはないトイレなし仕様とされた。 そのほか共通した特徴としては、窓下部の2か所に南海所有車であることを示す行灯式表示が装備され、車両限界の小さい南海線内での運行に備え、側窓の下部に保護棒が設置された。塗装は当初は全体を淡い黄色とし、雨樋と窓下に細い赤帯を入れたいわゆる準急色で竣工したが、のちに併結相手である「南紀」・「きのくに」の急行格上げでクリーム4号+赤11号の急行色に変更された。 1959年7月にキハ5501・5502 、同年9月に検査予備を兼ねるキハ5551がそれぞれ堺市の帝國車輛工業で新製されたが、キハ5501・5502は新潟鐵工所で国鉄向けに製造中であった構体を購入して、南海用に仕立てあげたものである。その後利用客が増加したことから増便が図られ、1960年にキハ5503・5504 ・5552、1962年にキハ5505・5553・5554が増備され、両形式合わせて9両が製造された。 運行開始時には当初計画から予定が繰り上げられた結果、南海社内での乗務員養成が間に合わず、南海本線(難波 - 和歌山市間)については1959年8月20日までの約1か月間が、同じく国鉄乗り入れ用として使用されていたサハ4801形客車同様、エンジンをアイドリング状態にして2001形電車3両で牽引した。 南海線内は特急扱いとして2両あるいは3両編成で単独運行され、東和歌山(現・和歌山)からは天王寺発着の準急→急行列車に併結されて全席座席指定車扱いで白浜口(現・白浜)あるいは新宮まで運行された。 キハ5505が踏切事故のため僚車に先駆けて1973年に廃車され、関東鉄道に譲渡されてキハ755となったほかは、その後も南紀直通急行「きのくに」で運用された。 国鉄側の急行列車は1961年以降キハ58系に代わり、1969年以降は冷房化も順次進められたのに対して、キハ5501形・5551形は全車エンジン2基搭載で発電セット搭載スペースがないため冷房化できない事情もあり、紀勢本線和歌山 - 新宮間の電化が完成して特急「くろしお」が381系電車化・増発された1978年10月ダイヤ改正以降、難波発着の「きのくに」は減便が順次実施された。南海でも一時期485系電車を購入して本形式の後継車として使用するという報道がなされたことがあったが、和歌山市駅構内にある南海・国鉄の連絡線を電化させる必要があり、利用実態と費用面を考慮した結果断念している。 その後1985年3月ダイヤ改正で、当時気動車急行のまま残存していた「きのくに」が485系電車の投入により特急「くろしお」に格上げされたことで併結対象列車が消滅。この結果南海が自社線内で運行していた特急列車のダイヤ整備に伴う運行休止を名目に南海難波発着の「きのくに」を廃止。用途喪失後の2形式は同年5月に全車廃車され、他社に譲渡されることもなく解体処分された。
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