廃線区間
廃線区間(穴水 - 輪島間)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 17:38 UTC 版)
「のと鉄道七尾線」の記事における「廃線区間(穴水 - 輪島間)」の解説
かつては穴水駅から輪島駅まで路線が延びていた。のと鉄道七尾線の一部で、輪島線と称する区間である。廃止2年前の1998年には能登三井駅の交換設備が廃止され、輪島駅 - 穴水駅間が1つの閉塞区間となって廃線を迎えた。 この区間の廃止が取り沙汰されるようになったのは、七尾線七尾駅 - 輪島駅間の引き受け後、のと鉄道が多額の赤字を計上しており、その大半を七尾線の赤字が占めていたためである。この区間の赤字の要因の一つは乗客の流出であり、背景としてはモータリゼーションの加速が挙げられる。七尾線の穴水駅 - 輪島駅間は簡易線の規格で建設されたために線形が悪く、鉄道がスピードアップできない一方、鉄道に沿って能登有料道路を始めとする道路網が開通したため、自動車が圧倒的に有利な状況にあった(同様のケースは日高本線や花輪線、山田線、大船渡線などでも見られる)。例えば、金沢 - 輪島間には当時からJR七尾線・のと鉄道七尾線に平行して高速バス「奥能登特急」(現・輪島特急)が運転されていたが、このバスの所要が2時間で運賃が2000円であるのに対して、七尾を経由するため高速バスより10km近く遠回りとなるJR・のと鉄道では所要2時間50分で運賃2400円、急行「能登路」を利用しても所要2時間20分を要した。また、七尾線の運行に関わる支出には、前述の経緯により、JR西日本に対する約1億3400万円にも上る線路・設備使用料が含まれており、これが経営を圧迫したとも考えられている。廃止が決定したとき、石川県知事は「道路整備の進展が皮肉なことにのと鉄道を廃止に追い込んだ」とコメントした。 このように厳しい経営が予想される中、能登空港開港に伴う交通再編が想定されたこともあって2000年3月に廃線が決定、2001年に廃止された。これは国鉄民営化後に第三セクターに移管された路線が廃止された初めての事例となった。廃止後、能登中央バスが代替バスの運転を開始し、運営主体が北鉄奥能登バスに変わって現在に至る。 廃線跡は全区間、レール・枕木、鉄橋が撤去され、トンネルは鉄板で塞がれている。跡地の一部は、石川県道1号七尾輪島線(輪島道路)の道路用地や、住宅、駐車場などに利用されている。
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