電気運用への変換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:05 UTC 版)
「アンダートン船舶昇降機」の記事における「電気運用への変換」の解説
1904年迄に管財人は水力芯棒を取り替える為に、かなりの期間の閉鎖と直面することとなった。このとき、技師頭のコロネル・ジェイ・エイ・サナに他の解法を尋ねた。サナは、水力芯棒を電動機と平衡錘、天井滑車に置き換え、函が独立に運用できるように提案した。この系は、水圧系より多くの可動部分があるが、地上にあるため近寄りやすいため、安価で簡単な維持が可能である。 函と平衡錘の全荷重が、上部構造にかかるので、大規模な補強と丈夫な基礎構造がいる。しかし、当初の枠組みのまわりに別の上部構造を造ることにより、サナはごく短期間の閉鎖でこの変換ができることを約束した。新規の上部構造は、横に各5、合計10の三角の鉄製枠で水面上18米に機械室を支える。電動機、駆動軸と鋳鉄歯車滑車は機械室に設置される。鋼製牽索は函の両脇にとりつけられ、滑車を経て各18合計36の平衡錘とつながる。夫々の平衡錘は14屯あるので合計252屯で、函と平衡する。電動機は、滑車と軸受けの摩擦に対応する。30馬力のものが設置されたが、通常は半分で運用された。新規の基礎と上部構造に足して、河の標高の渠を乾渠と変更され、運河と昇降機の間の水路橋をまっすぐにされた。当初の函はそのまま使われたが、鋼製牽索が側面につながるようにされた。1906年から1908年にかけて変換工事が行われた。サナが約束したように、合計三回49日の閉鎖のみであった。変換された昇降機は、1906年7月29日に公式開業した。尤も、一つの函は、もう一つが変換工事をしている時に5月から電気で運用していた。
※この「電気運用への変換」の解説は、「アンダートン船舶昇降機」の解説の一部です。
「電気運用への変換」を含む「アンダートン船舶昇降機」の記事については、「アンダートン船舶昇降機」の概要を参照ください。
- 電気運用への変換のページへのリンク