神戸姫路電気鉄道1形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 07:04 UTC 版)
神戸姫路電気鉄道1形電車(こうべひめじでんきてつどう1がたでんしゃ)は、神戸姫路電気鉄道(神姫電鉄。現・山陽電気鉄道本線山陽明石駅以西を建設した前身企業)が1923年8月の全線開業に当たって製造した通勤形電車である。
- ^ 文献によって「70 PS」(=51.5 kw)と「52.2 kw」(=70 HP)が混在しており、仏馬力なのか英馬力なのかは不明
- ^ 後の山陽電気鉄道第三代社長。
- ^ 戸袋窓を除く。
- ^ 当時は昼間には前照灯を点灯することはなく灯具未装着での運行が大半であり、しかもその運用がわずか4年と短期間で終了したため、灯具装着状態を示す鮮明な記録写真は発見されていない。なお、メーカーである川崎造船所で撮影されたメーカー公式写真は、電装品および台車の艤装が神姫電鉄納入後に実施されたため、同社構内で車体のみが貨車に積載された出荷直前の状態で撮影されている。
- ^ 直流1,200V仕様の場合は1両あたり2基ないしは4基搭載される主電動機を2基ずつ直列接続して使用するため、主電動機は直流600Vの場合と同じ端子電圧600Vのものが使用される。
- ^ RPC-101。PCコントロールの同等品。
- ^ SE-107。電気的仕様はGE-263と同一。
- ^ 神姫→山陽での公称性能は端子電圧750V時1時間定格出力52kW(70馬力)、定格回転数780rpm。
- ^ 阪急での公称性能は端子電圧600V時定格出力48kW/720rpm。
- ^ このため、後年の山陽電気鉄道では、特急運転を契機としてこのPCコントロールと、増備車に搭載された同等品の芝浦製作所RPC-101に対して弱め界磁制御に必要な界磁接触器を追加する工事を順次実施している。
- ^ 心皿荷重上限25,000ポンド(11.34t)、軸距78インチ(1,981mm)で平鋼リベット組立構造のイコライザー式台車。
- ^ 汽車製造会社、日立製作所、それに自社工場で製造したものを使用した。
- ^ ボールドウィン製のオリジナル品はヨークの部分の形状が段落ちで、他の国産同等品各種とは異なっていた。
- ^ もっとも、実際には神姫電鉄開業から後身である山陽電気鉄道100形・1000形の淘汰まで、最大2両編成での運用に留まった。100形・1000形は250形および270形へ更新され、特に後者では3両編成が後年常態化したが、これらは元空気溜管式のAブレーキが新製搭載されている。
- ^ これも本形式設計当時は国産品が存在しなかったため、シャロン式自動連結器が輸入されている。
- ^ 戦後、京成電鉄が国鉄より戦災電車を購入しクハ2000形として投入した際も、同種の縮幅改造を行っているが、いずれにせよ極めて希少な事例である。車体載せ替えを伴わず、外部ステップの脱着等でなしに、車体そのものの幅員を根本的に大幅縮小改造する工事は、構体を一旦台枠・骨組レベルまで解体する必要があって基本的に容易でなく、通常行われることではない。山陽・京成の事例は、戦中・戦後の混乱期における極端な車両需給逼迫・資材不足に伴う例外的ケースである。
- ^ 山陽では一旦2.4m幅への縮小が実施されたが、明石 - 姫路間の地上設備はほぼそのまま使用され、さらに明石以東についても線形改良などの際にこれを基準とした改修が順次実施されており、これは戦後山陽がモハ63形(700形)の導入強行を決断する重要な伏線となった。また、近江では後年になって700形と同クラスの西武鉄道401系を譲受しているが、これは本線・多賀線については地上設備の大改修なしで運行が実施(これに対し八日市鉄道由来の八日市線はホームを削るなどの改修工事を要した)されており、電化時(つまり本形式の車体を流用したデハ1形の入線時)に整備された地上設備が今でも有効に機能していることが見て取れる。
- 1 神戸姫路電気鉄道1形電車とは
- 2 神戸姫路電気鉄道1形電車の概要
- 3 概要
- 4 廃車後
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