コーンウォール鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 06:35 UTC 版)
「ロイヤルアルバート橋」の記事における「コーンウォール鉄道」の解説
ファルマスへ結ぶ鉄道は、1830年代に2つの異なる提案が行われた。「中央案」は、エクセターからダートムーアの北を周っていく経路で、建設は簡単であったが中間の交通量は少なかった。もう一方は「海岸案」で、多くの技術的に困難な点がある路線であったが、重要な海軍の町プリマスとセントオーステル(英語版)周辺の工業地帯を通ることができる。中央案はロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道(英語版)が支持していたのに対し、海岸案はコーンウォール鉄道(英語版)と、デヴォンポート(英語版)においてサウス・デヴォン鉄道(英語版)とこの鉄道が接続することを望むグレート・ウェスタン鉄道が支持していた。1845年にコーンウォール鉄道は議員立法を提案したがこれは却下された。これは、ウィリアム・ムーアソン(英語版)の計画ではハーモウズ(英語版)の入江を鉄道連絡船で結ぶことになっていたことも一因であった。これを受けてイザムバード・キングダム・ブルネルは主任技術者を引き継ぎ、テイマー川上流のサルタッシュで川を渡る提案を行った。この提案に基づく法案は1846年8月3日に通過した。
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