市制施行以降
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「加治屋町 (鹿児島市)」の記事における「市制施行以降」の解説
1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「 市制施行地」(内務省告示第1号)によって鹿児島が市制施行地に指定された。3月5日には鹿児島県令第26号によって鹿児島郡のうち50町村が市制による鹿児島市の区域と定められ、4月1日に市制が施行されたのに伴い、鹿児島郡50町村(山下町、平之馬場町、新照院通町、長田町、冷水通町、上竜尾町、下竜尾町、池之上町、鼓川町、稲荷馬場町、清水馬場町、春日小路町、車町、恵美須町、小川町、和泉屋町、浜町、向江町、栄町、柳町、易居町、中町、金生町、東千石馬場町、西千石馬場町、汐見町、泉町、築町、生産町、六日町、新町、松原通町、船津町、呉服町、大黒町、堀江町、住吉町、新屋敷通町、加治屋町、山之口馬場町、樋之口通町、薬師馬場町、鷹師馬場町、西田町、上之園通町、高麗町、下荒田町、荒田村、西田村、塩屋村)の区域より鹿児島市が成立した。それまでの加治屋町は鹿児島市の町「加治屋町」となった。 1918年(大正7年)4月5日には加治屋町で80戸を焼失する火災が発生した。また、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)4月1日には加治屋町や田上町、下荒田町などがアメリカ軍の大型爆弾による空爆を受け(鹿児島大空襲)、当日空爆を受けた区域で死者587名、負傷者424名の被害を受けた。 1948年(昭和23年)に鹿児島大空襲により焼失した南林寺町の鹿児島市立病院が加治屋町(当時は樋之口町)に再建し、治療棟及び病棟が各1棟ずつ設置された。その後病棟の増設が行われ、鹿児島県災害拠点病院に指定されるなど鹿児島県の医療機関の中枢を担っていたが、施設の老朽化や駐車場が手狭であることから、2015年(平成27年)に上荒田町の日本たばこ産業鹿児島工場跡地に病院施設を移転した。 1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した。1963年(昭和38年)9月には加治屋町の全域で住居表示が実施され、住居表示の実施に伴い町の区域の再編が行われ、樋之口町の一部を加治屋町に編入した。 1985年(昭和60年)9月30日に伊敷町の伊敷町電停から加治屋町の加治屋町電停までを結んでいた鹿児島市電伊敷線が廃止となり、加治屋町電停は鹿児島市電第二期線のみが発着することとなった。 1994年(平成6年)4月28日には、幕末から明治維新にかけて薩摩が果たした役割や出身人物などを紹介する維新ふるさと館が西郷隆盛生誕地に近い甲突川左岸に開館した。
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市制施行以降
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「大黒町 (鹿児島市)」の記事における「市制施行以降」の解説
1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「 市制施行地」(内務省告示第1号)によって鹿児島が市制施行地に指定された。3月5日には鹿児島県令第26号によって鹿児島郡のうち50町村が市制による鹿児島市の区域と定められ、4月1日に市制が施行されたのに伴い、鹿児島郡50町村(山下町、平之馬場町、新照院通町、長田町、冷水通町、上竜尾町、下竜尾町、池之上町、鼓川町、稲荷馬場町、清水馬場町、春日小路町、車町、恵美須町、小川町、和泉屋町、浜町、向江町、栄町、柳町、易居町、中町、金生町、東千石馬場町、西千石馬場町、汐見町、泉町、築町、生産町、六日町、新町、松原通町、船津町、呉服町、大黒町、堀江町、住吉町、新屋敷通町、加治屋町、山之口馬場町、樋之口通町、薬師馬場町、鷹師馬場町、西田町、上之園通町、高麗町、下荒田町、荒田村、西田村、塩屋村)の区域より鹿児島市が成立した。これに伴いそれまでの大黒町は鹿児島市の町「大黒町」となった。 1914年(大正3年)に金生町で創業した鹿児島勤倹銀行が1921年(大正10年)に大黒町に移転している。その後1941年(昭和16年)に鹿児島勤倹銀行は鹿児島銀行に買収された。1914年(大正3年)時点で大黒町には30余りの商店があったという。 1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した。1963年(昭和38年)には甲突川北部地域に対して住居表示法に基づく住居表示が一斉に行われ、大黒町の全域でも住居表示が実施された。
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市制施行以降
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1967年(昭和42年) - 市役所新庁舎開庁。 1974年(昭和49年) - 市制施行20周年。大韓民国安東市と姉妹都市締結。 1976年(昭和51年) - 中央工業団地分譲開始。 1977年(昭和52年) - 「寒河江市民さくらんぼ憲章」制定。 1983年(昭和58年) - 公共下水道供用開始。第1回神輿の祭典(熱狂裸神輿)。 1984年(昭和59年) - 市制施行30周年。市の木「さくらんぼ」、市の花「つつじ」を制定。 1987年(昭和62年) - 農林水産祭(むらづくり部門)で清助新田むらづくり委員会が天皇杯受賞。 1988年(昭和63年) - 大江公入部800年祭。トルコ共和国ギレスン市と姉妹都市締結。国道112号寒河江バイパス全線開通。 1989年(平成元年) - 山形自動車道寒河江山形間開通。 1990年(平成2年) - 「さくらんぼの日」制定。神奈川県寒川町と姉妹都市締結。 1991年(平成3年) - 山形自動車道寒河江仙台間全線開通。市立図書館新築オープン。 1992年(平成4年) - チェリーランド全面オープン。花の国際コンクールで寒河江のバラが世界一。べにばな国体剣道競技開催。 1993年(平成5年) - まちづくりで「宮崎賞」受賞。 1994年(平成6年) - 市制施行40周年。自治大臣表彰受賞。二の堰親水公園で「せせらぎ宣言」。 1996年(平成8年) - ハートフルセンターオープン。 1997年(平成9年) - 地方自治法施行50周年記念自治大臣表彰。 1998年(平成10年) - 山形自動車道寒河江西川間開通。 1999年(平成11年) - 全国スポーツレクリエーション祭バウンドテニス競技大会開催。山形自動車道寒河江サービスエリアオープン。フラワーロード全国花いっぱいコンクール自治大臣賞受賞。第8回美しい日本のむら景観コンテストで平塩地区がむらづくり対策推進本部長賞(文化部門)。 2000年(平成12年) - 都市緑化基金賞受賞。花のまちづくりコンクール農林水産大臣賞受賞。 2001年(平成13年) - 花と緑の国際コンペで銀賞受賞。緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰。 2002年(平成14年) - 第19回全国都市緑化やまがたフェア開催。 2003年(平成15年) - 花咲かフェアINさがえが始まる。第18回国民文化祭やまがた2003開催。 2004年(平成16年) - 市制施行50周年。「市民歌」、市の緑「寒河江ギボウシ」制定。 2005年(平成17年) - 駅前中心市街地整備事業完了。 2006年(平成18年) - 寒河江サービスエリアにスマートIC恒久設置。 2008年(平成20年) - 寒河江市美術館オープン。 2011年(平成23年) - 中学校給食スタート。寒河江市イメージキャラクター「チェリン」誕生。第12回山形ふるさとCM大賞で大賞受賞。 2013年(平成25年) - 花咲かフェアINさがえからゆめタネ@さがえに。 2014年(平成26年) - 市制施行60周年。市の魚「清流寒河江川のアユ」・市民のまつり「神輿の祭典」・市のシンボルカラー「さくらんぼRED」制定。「さがえっこすくすく宣言」。 2015年(平成27年) - 第30回全国さくらんぼの種吹きとばし大会が参加者数でギネス世界記録に認定。 2017年(平成29年) - 市庁舎竣工50周年。市庁舎が登録有形文化財に登録される。
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