市制施行時の地名とは? わかりやすく解説

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市制施行時の地名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 04:28 UTC 版)

市川市の町名」の記事における「市制施行時の地名」の解説

市川市域は、1889年明治22年)の市制町村制施行時には東葛飾郡市川町八幡町(やわたまち)、中山村五常村大柏村行徳町ぎょうとくまち)、南行徳村属していた。このうち五常村1890年明治23年)に国分村こくぶんむら)と改称中山村1914年大正3年)、南行徳村1937年昭和12年)にそれぞれ町制施行している。 1934年昭和9年)、市川町八幡町中山町国分村の3町1合併して市川市成立した。これら3町1属していた計19大字市川市大字となったまた、1949年昭和24年)に市川市大柏村編入同村4つ大字市川市大字となり、市川市は計23大字から構成されることとなった。これらの大字は、1889年明治22年)の市制町村制施行以前の旧相当する1949年昭和25年)の時点市川市属していた23大字以下のとおりである。 旧市川町 市川市川新田国府台こうのだい)、平田真間八幡町 菅野(すがの)、宮久保八幡(やわた) 旧中山町 鬼越(おにごえ)、鬼高鬼越高石神一部から1919年起立)、高石神中山北方(ぼっけ)、若宮 旧国分村 稲越国分こくぶん)、下貝塚曽谷(そや)、須和田大柏村 大野大町新田柏井奉免

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市制施行時の地名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 05:48 UTC 版)

船橋市の町名」の記事における「市制施行時の地名」の解説

船橋市域は、1889年明治22年)の市制町村制施行時には船橋町葛飾村八栄村(やさかえむら)、法典村塚田村(以上、東葛飾郡)、二宮村豊富村(以上、千葉郡)に属していた。このうち葛飾村1931年二宮村1928年それぞれ町制施行している。1937年昭和12年)、船橋町葛飾町八栄村法典村塚田村の2町3合併して船橋市成立した旧町村には下記のとおり28大字おおあざ)があったが、これらは船橋市大字として引き継がれた。これらの大字は、1889年市制町村制施行以前の旧相当する。 旧船橋町 九日市五日市海神葛飾町 西海神、山野印内古作寺内本郷二子小栗原(おぐりはら)、原木飛地二俣飛地小栗原飛地八栄村 東夏見、西夏見、七熊、米ケ崎(こめがさき)、高根、南金杉二和三咲 旧法 藤原上山かみやま)、丸山塚田村貝塚、後貝塚行田新田 このうち九日市五日市は、現船橋市街地の旧称だが、現行行政地名としては残っていない。原木飛地二俣飛地小栗原飛地近隣の町域に編入小栗原本中山等に変更。七熊は東町、後貝塚旭町改称された。他の地名おおむね継承されている。

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