市制施行時の町名
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1889年(明治22年)に横浜区が市制を施行した時の138町の町名。駿河町、富士見町は2ヶ所に存在。
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市制施行時の町名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 00:04 UTC 版)
市制施行時に鹿児島府下(旧・鹿児島城下)の上町(かんまち)と下町(しもまち)、上町及び下町にも属さない鹿児島府下の区域、西田村、塩屋村、荒田村の区域を以て鹿児島市として成立した。この節では市制が施行され鹿児島市となるまでの鹿児島府下の区域及び鹿児島近在に属していた3村について述べる。 上町は鎌倉時代より守護が居住していた東福寺城の城下に守護町が形成されたのが始まりであると言われており、その後現在の鹿児島市立清水中学校付近に城が移転したころより町屋が広がり始め、町屋敷群が形成された。また、海沿いに位置していた恵美須町などは海運、漁業などで栄え、それに従事する者や商人などが居住していた。 上町(かんまち)は市制施行時の小川町、和泉屋町、恵美須町、車町、栄町、柳町、浜町、向江町の区域にあたり、鶴丸城の堀の西端部から海岸へ流れる名山堀より北側の区域に該当する。 一方、名山堀より南側は下町(しもまち)と呼ばれ、山下町、易居町、生産町、六日町、築町、汐見町、泉町、金生町、中町、呉服町、大黒町、堀江町、住吉町、船津町、新町、松原通町が下町の区域にあたり、下町も上町と同様に町屋敷が連なる区域であった。 また、鹿児島府下に属すが、上町及び下町のどちらにも属していない町は新照院通町、薬師馬場町、鷹師馬場町、西田町、平之馬場町、西千石馬場町、東千石馬場町、加治屋町、山之口馬場町、樋之口通町、新屋敷通町、下荒田町、高麗町、上之園通町、冷水通町、長田町、下竜尾町、上竜尾町、池之上町、皷川町、稲荷馬場町、清水馬場町、春日小路町があった。これらの区域の多くは武士屋敷群から構成されており、鹿児島城付近に上級武士、郊外に下級武士や郷士が居住していた。 また、西田村は南北朝期、荒田村は戦国期、塩屋村は江戸期にそれぞれ成立した。荒田村は成立から江戸期までは荘園であり、西田村は薩摩国鹿児島郡のうちであった。3村は江戸期からは鹿児島近在のうちに属した。 市制が施行されたのに伴い上記の鹿児島府下の47町及び西田村、塩屋村、荒田村にあたる区域を以て、鹿児島市として発足。従来の町は町丁に、村は大字となった。 表 話 編 歴 鹿児島市の発足時(1889年)の町・字 旧鹿児島府下 上町地区小川町 和泉屋町* 恵美須町* 車町* 栄町* 柳町 浜町 向江町* 下町地区山下町 易居町 生産町* 六日町* 築町* 汐見町* 泉町 金生町 中町 呉服町 大黒町 堀江町 住吉町 船津町 新町 松原通町 その他新照院通町 薬師馬場町 鷹師馬場町 西田町 平之馬場町 西千石馬場町 東千石馬場町 加治屋町 山之口馬場町 樋之口通町 新屋敷通町 高麗町 上之園通町 冷水通町 長田町 下竜尾町 上竜尾町 池之上町 皷川町 稲荷馬場町 清水馬場町 春日小路町 旧鹿児島近在下荒田町 大字荒田 大字西田 大字塩屋* *印があるものは現存しない町・字(2020年現在)
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