市制移行と市の発展
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1950年5月18日、ロシア共和国最高会議議長団令により、ナホトカ労働集落は、都市区分が市に格上げになった。同月23日には初めての大通りが作られた。ナホトカ大通り(ロシア語版)、中央通り(現在のガガーリン通り)、レールモントフ通りとクリィロフ通りである。後にモスクワ通りも作られた(現在のレーニン通り)。 1950年にナホトカ漁港は初めて、「ルナチャルスキー」という船に荷積みを行った。1953年、市にバスの定期路線が開業した。1956年にはプレオブラジェーニエ(ロシア語版)からナホトカに海上漁業活動局(ロシア語版)が移転した。同年かつてホテルだった建物に極東航海学校(ロシア語版)が開校した。1957年には沿海船舶修理工場(ロシア語版)と「ダリモルギドロストロイ(極東沿海水上建設)」が設置された。1960年には映画技術極東支店が設置された。翌年ナホトカは初めて姉妹都市関係を日本の京都府舞鶴市と結んだ。後にナホトカは北海道小樽市や福井県敦賀市、米国カリフォルニア州のオークランドやワシントン州ベリンハムとも姉妹都市関係となった。 1961年、横浜港とナホトカ港を結ぶ定期航路(ナホトカ航路)が開設。ソ連時代を通じて名実ともに日本との窓口となり、人の移動や物流量が増加を始める。 1965年にはナホトカに、ソ連極東と日本・オーストラリア・北朝鮮との貿易関係を管理する輸出入事務所「ダリイントログ」が開設された。ナホトカは、太平洋艦隊の軍港都市として外国人の立ち入りを禁じたウラジオストクに代わり、ソビエトの極東貿易の拠点になった。また、シベリア鉄道を利用する外国人乗客はここからハバロフスクまでの特別列車を利用し、ここでモスクワに向かうように定められていた。 1970年12月16日、ナホトカの対岸約17kmの場所にあるウランゲル湾にボストーチヌィ港の建設が始まり、建設は全ソの重大なコムソモールの工事だと宣伝された。1973年には新しい港で最初に木材運搬船「シャドリンスク」が荷積みを行った。翌年には「沿海海上汽船会社」が設置され、北洋材の積み出し基地の一つとなった。ボストーチヌィ港の石炭開発コンプレクスが稼働を開始した。
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