市制町村制以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 09:31 UTC 版)
明治22年(1889年)、市制・町村制が施行され、同年5月1日、東京市(15区からなる)が成立。本所区は東京市の区となった。同時に東京府下の6郡では既存の町村が廃置分合されて85町村に整理された。向島地区の旧村は、一部は本所区に編入され、残りは廃置分合により隅田村、寺島村、吾嬬村、大木村の4村に再編された。これら4村と旧村との対応関係は複雑であるため、後に改めて述べる。なお、隅田村と寺島村は大正12年(1923年)、吾嬬村は大正元年(1912年)に町制を施行、大木村は荒川放水路開削に伴い大正3年(1914年)廃村となっている。 昭和7年(1932年)10月1日、東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。なお、従前の6郡のうち、南豊島郡と東多摩郡が明治29年(1896年)に合併して豊多摩郡となっている。編入された82町村は20区に編成され、東京市は既存の15区と合わせ、35区から構成されることとなった。この時、従前の隅田町、寺島町、吾嬬町の3町の区域をもって向島区が新設された。 昭和18年(1943年)7月1日、東京府と東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。この時、本所区、向島区を含む35区は東京都直轄の区となった。昭和22年(1947年)3月15日、35区は22区に再編される。この時、本所区と向島区は廃止され、両区の区域をもって新たに墨田区が設置された。同年8月1日、板橋区から練馬区が分離して東京都の区部は23区となり、現在に至る。
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