市制施行以後の下竜尾町とは? わかりやすく解説

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市制施行以後の下竜尾町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 05:15 UTC 版)

下竜尾町」の記事における「市制施行以後の下竜尾町」の解説

1888年明治21年)に公布され市制明治21年法律第1号に基づき1889年明治22年2月2日官報掲載された「 市制施行地」(内務省告示第1号)によって鹿児島市制施行地に指定された。3月5日には鹿児島県令第26号によって鹿児島郡のうち50町村市制による鹿児島市区域定められ4月1日市制施行されたのに伴い鹿児島郡50町村山下町平之馬場町、新照院通町長田町冷水通町上竜尾町下竜尾町池之上町鼓川町、稲荷馬場町清水馬場町春日小路町車町恵美須町小川町和泉屋町浜町向江町栄町柳町易居町中町金生町東千石馬場町、西千石馬場町汐見町泉町築町生産町六日町新町松原通町、船津町呉服町大黒町堀江町住吉町新屋敷通町加治屋町山之口馬場町樋之口通町薬師馬場町鷹師馬場町西田町上之園通町高麗町下荒田町荒田西田村塩屋村)の区域より鹿児島市成立したそれに伴いそれまで下竜尾町鹿児島市の町「下竜尾町となった第二次世界大戦中1945年昭和20年7月31日には鹿児島駅から下竜尾町清水町池之上町上竜尾町一帯に対してアメリカ軍による空襲が行われた(鹿児島大空襲)。 1962年昭和37年)に住居表示に関する法律施行されたのに伴い鹿児島市鹿児島市地域住居表示着手した1967年昭和42年11月1日上町地区一部において住居表示実施され住居表示の実施に伴い町の再編が行われた。それに伴って池之上町車町上竜尾町下竜尾町の各一部より大竜町設置され恵美須町全域和泉屋町一部車町一部長田町一部下竜尾町一部より上本町設置された。 翌年1968年昭和43年7月1日には下竜尾町全域住居表示実施された。 赤の破線区域現在の上本町区域ピンク色下竜尾町。 赤破線区域現在の大竜町赤色下竜尾町である。

※この「市制施行以後の下竜尾町」の解説は、「下竜尾町」の解説の一部です。
「市制施行以後の下竜尾町」を含む「下竜尾町」の記事については、「下竜尾町」の概要を参照ください。

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