市制施行以後の下竜尾町
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1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「 市制施行地」(内務省告示第1号)によって鹿児島が市制施行地に指定された。3月5日には鹿児島県令第26号によって鹿児島郡のうち50町村が市制による鹿児島市の区域と定められ、4月1日に市制が施行されたのに伴い、鹿児島郡50町村(山下町、平之馬場町、新照院通町、長田町、冷水通町、上竜尾町、下竜尾町、池之上町、鼓川町、稲荷馬場町、清水馬場町、春日小路町、車町、恵美須町、小川町、和泉屋町、浜町、向江町、栄町、柳町、易居町、中町、金生町、東千石馬場町、西千石馬場町、汐見町、泉町、築町、生産町、六日町、新町、松原通町、船津町、呉服町、大黒町、堀江町、住吉町、新屋敷通町、加治屋町、山之口馬場町、樋之口通町、薬師馬場町、鷹師馬場町、西田町、上之園通町、高麗町、下荒田町、荒田村、西田村、塩屋村)の区域より鹿児島市が成立した。それに伴いそれまでの下竜尾町は鹿児島市の町「下竜尾町」となった。 第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)7月31日には鹿児島駅から下竜尾町や清水町、池之上町、上竜尾町一帯に対してアメリカ軍による空襲が行われた(鹿児島大空襲)。 1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した。1967年(昭和42年)11月1日に上町地区の一部において住居表示が実施され、住居表示の実施に伴い町の再編が行われた。それに伴って、池之上町、車町、上竜尾町、下竜尾町の各一部より大竜町が設置され、恵美須町の全域、和泉屋町の一部、車町の一部、長田町の一部、下竜尾町の一部より上本町が設置された。 翌年の1968年(昭和43年)7月1日には下竜尾町の全域で住居表示が実施された。 赤の破線の区域が現在の上本町の区域。ピンク色が下竜尾町。 赤破線の区域が現在の大竜町。赤色が下竜尾町である。
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