市制後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 07:24 UTC 版)
1937年(昭和12年)4月1日 - 東葛飾郡船橋町、葛飾町、八栄村、法典村、塚田村が合併して、船橋市が発足。県下で4番目の市制施行された。 1941年(昭和16年)12月2日 - 海軍無線電信所船橋送信所を通じ「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号がハワイへ向けて航行中の真珠湾攻撃部隊に打電された。日本建鐵船橋製作所などの軍需工場が移転して来た。 1942年(昭和17年)4月 - 東京初空襲の編隊が通過した。 1943年(昭和18年)1月10日 - 現在の船橋市地方卸売市場付近にあった鴨川ニッケル工業(後に紀文グループを経て現キッコーマンソイフーズ)で溶鉱炉が爆発。工員9人が死亡、13人が重軽傷。 8月2日 - 東部軍教育隊が二宮町に設置された。 1944年(昭和19年)3月 - 閣議決定に伴い中山競馬場が閉鎖、軍馬集積場・軍医学校血清ワクチン製造所となった。 5月 - 局地戦闘機の「雷電」一号機が祝賀飛行のため市内に飛来した。 夏見台に高射砲が設置されるが、爆撃により破壊された。 1945年(昭和20年) - 二宮町空襲により、役場をはじめ、滝台と前原の一部が焼失した。9月11日 - 太平洋戦争敗戦後、中国大陸帰還者受け入れのため、開拓農地開発営団習志野事業部による陸軍習志野錬兵場の緊急開拓が始まった。
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