市営事業の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:44 UTC 版)
「都城市営電気供給事業」の記事における「市営事業の開始」の解説
こうして都城電気の事業が拡大を続けていると、都城町では電気事業が町の財源として有望であるとする意見が広まり、1920年代に入ると電気事業公営化の議論が始まった。まず1921年(大正10年)8月、町議会の財政調査会で公営化に向けた調査が開始され、1923年(大正12年)9月には町長から委嘱された専門家による会社内情調査も行われた。その結果を踏まえて翌1924年(大正13年)3月、町議会は電気事業公営に関する意見書を賛成多数で可決するに至った。その後同年4月1日の市制施行に関する準備や手続きのため公営化への動きは一時停止し、市制後も他の施策が優先されて財源の手当てができず市営化実施は先送りされていた。 市営化への動きが停頓する中、1925年(大正14年)4月18日、都城電気は突如日本水電株式会社との合併契約締結を発表した。同社は日本窒素肥料傘下の電力会社で、前年の1924年(大正13年)に大隅地方の南九州水力電気を合併し、その後も合併を繰り返して当時鹿児島県内で勢力を広げていた。都城電気は需要増加で供給力不足に陥ったため同社への合併を選択したという。この合併発表を機に電気事業市営論が盛り上がり、市民によって「電気市営期成同盟会」が結成されるなど運動が激しくなった。市営論の盛り上がりを受けて両社は合併を断念。市の側でも市長財部実秀と助役・市会議員3人からなる交渉委員を設け都城電気との事業買収交渉に着手した。 交渉は最終的に、都城電気が球磨川電気と合併し、その上で球磨川電気から都城市内の電気事業のみを市営化するということで話がまとまり、1926年(大正15年)1月21日、市と都城電気・球磨川電気の3社で合併契約と市への事業譲渡契約が締結された。市による事業買収価格は78万円とされた。この球磨川電気は熊本県人吉市の電力会社で、日本水電と同じく1920年代に事業合併を積極的に行っていた。同年4月、逓信省より球磨川電気・都城電気の合併認可があり、同年7月合併手続きが完了して都城電気は消滅した。合併前年の1925年4月時点で都城電気は都城市を中心に北諸県郡11村・鹿児島県囎唹郡7町村を供給区域として電灯6万1841灯、電力1316馬力(約968キロワット)を供給していた。 翌1927年(昭和2年)4月9日、球磨川電気から都城市への事業譲渡が認可された。その後買収資金や起業費に充てる市債83万円の起債や料金制定などの準備を終了し、同年8月1日付で市営化を実施して市営電気供給事業を開業させた。なお発電所は買収対象には含まれておらず、市営事業の電源はすべて球磨川電気からの受電によった。
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