市営事業の動向:1930年代とは? わかりやすく解説

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市営事業の動向:1930年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 04:32 UTC 版)

金沢市営電気供給事業」の記事における「市営事業の動向:1930年代」の解説

需要増加に伴い、市では既設吉野第一発電所放水利用する吉野第二発電所建設立案1927年昭和2年10月起工し1930年昭和5年10月になって完成させた。総工費457000円。出力は1,000キロワットで、非同期発電機カプラン水車自動式運転方法など当時最新技術取り入れられている。 続いて市原発電所放水常時吉野第一発電所へと流すという改良工事1932年昭和7年6月完成し吉野第一発電所出力550キロワット増加した。また1939年昭和14年12月には福岡第一発電所出力も1,360キロワット引き上げられており、これらにより市営発電所は計6か所・総出1万3,190キロワットとなったこの間1934年昭和9年7月11日手取川大水害により、福岡第一発電所では床上浸水福岡第二発電所建屋全体流出するという被害受けた水害影響市営発電所の総発電量は大きく落ち込むが、臨時受電行い供給継続した1939年度の段階で、キロワット時ベース発電受電割合は3対1であった受電量のうち多く占めるのが石川電気からの受電である。同社1935年7月設立され高岡電灯富山県)の傍系会社で、1937年昭和12年7月手取川鶴来発電所出力1,600キロワット)を建設発生電力全部を市へ売電していた。それ以外では高岡電灯北陸共同電気合併)と日本海電気中越水電合併)からの受電が目立つ。 供給実績1930年代通じて着実に伸長した電灯分野では洪水被災から3か月後の1934年10月1か月わたって増灯勧誘大規模に実施され1934年度に20万灯大台突破する至った1938年昭和13年3月時点では電灯需要家数37709戸・取付灯数215275灯を数える。一方電力供給については、1940年昭和15年3月時点小口電力4,666キロワット電熱その他1,592キロワット大口電力1万5,725キロワット合計2万1,983キロワットという規模拡大した最大電力需要家はキロワット時ベース大口供給半分近く占め日本電気冶金(後の日本電工)。それに金沢電気軌道高岡電灯小松電気電気事業者3社が続いた

※この「市営事業の動向:1930年代」の解説は、「金沢市営電気供給事業」の解説の一部です。
「市営事業の動向:1930年代」を含む「金沢市営電気供給事業」の記事については、「金沢市営電気供給事業」の概要を参照ください。

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