町村制の施行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:32 UTC 版)
長崎県管轄になったあとの対馬には厳原支庁が置かれたが、1886年(明治19年)には対馬島庁と改められた。1889年(明治22年)4月1日に長崎県内において市制・町村制が施行されたが、対馬はこの対象から除外され、東京都伊豆諸島(青ヶ島村を除く)、島根県隠岐諸島、鹿児島県三島村・トカラ列島及び奄美群島、沖縄県と同様に島嶼町村制が適用された。対馬においては1908年(明治41年)4月1日に施行され、上県郡に峰、仁田、佐須奈、豊崎、琴の5村、下県郡には厳原町のほか、与良、佐須、鶏知、竹敷、船越、仁位、奴加岳の1町7村が発足。1912年(明治45年)に厳原町の一部と与良村を久田・豆酘の2村に分割し、1919年(大正8年)に普通町村制が施行された。対馬島庁は、1926年(大正15年)には対馬支庁に改称されている。なお、1905年(明治38年)には上下県郡総町村立の対馬中学校(現在の長崎県立対馬高等学校)が島内初の中学校として創立された。
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