町村制以後の古里とは? わかりやすく解説

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町村制以後の古里

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 01:35 UTC 版)

古里町 (鹿児島市)」の記事における「町村制以後の古里」の解説

1889年明治22年4月1日町村制施行されたのに伴い桜島の東半分区域にあたる湯之野尻村古里村有村黒神高免瀬戸村、脇区域より北大隅郡東桜島村成立したそれまで古里村東桜島村大字古里となった1897年明治30年4月1日には「 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律55号)によって北大隅郡鹿児島郡統合され東桜島村鹿児島郡のうちとなった1914年大正3年1月12日桜島爆発発生し噴煙は高さ約1万メートル及んだ大正大噴火)。爆発当時古里人口571人、戸数76であった古里住民前日11日から避難開始し噴火時にはほとんどの住民垂水避難しており犠牲者はなかった。噴火後古里設置されていた改新小学校2月24日授業再開したまた、避難した古里住民のうち1戸は北種子現在の西之表市)、9戸は花里現在の鹿屋市花里町)、5戸は宮崎県雛守・真幸官有地移住したほか、種子島安納にも任意移住した古里温泉街大きな被害を受け、旅館1軒、下宿屋1軒が残るのみとなったが、昭和初期までには下宿屋が9軒となり復興した1929年昭和4年)には古里温泉入浴者数は年間2000人前後であった。 1950年昭和25年10月1日には東桜島村鹿児島郡伊敷村とともに鹿児島市編入された。同年10月18日鹿児島県公報掲載され鹿児島県告示である「 鹿兒島市一部大字變更」により、東桜島村鹿児島市編入され10月1日大字古里区域より新たに鹿児島市の町「古里町」が設置された。 1960年昭和35年1月19日には桜島連続的に爆発し古里町では人頭大の噴石多数落下した1963年昭和38年)には度々飛来する噴石によって旅館の窓が破損する被害相次いだ1972年昭和47年10月2日には噴火によって巨大な噴石古里海岸付近に落下したほか、林芙美子文学碑では山火事発生した1984年昭和59年4月19日には豪雨によって第二古里川土石流発生し下流古里温泉にあるホテル6棟が被害遭い被害にあったホテル一部倒産した1992年平成4年)には噴石被害多発した隣接する有村町住民移住が行われ、1世帯3名が古里町移住した2018年平成30年7月7日梅雨前線発達により発生した平成30年7月豪雨では古里町がけ崩れ発生し2名が死亡した

※この「町村制以後の古里」の解説は、「古里町 (鹿児島市)」の解説の一部です。
「町村制以後の古里」を含む「古里町 (鹿児島市)」の記事については、「古里町 (鹿児島市)」の概要を参照ください。

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