市の名称
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新しく市となる普通地方公共団体の名称については、以前は特に規定もなく、福岡県遠賀郡若松町が旧市制の下において市制施行する際には福島県若松市(1899年(明治32年)4月1日市制施行)との重複は特に問題にならず、1914年(大正3年)4月1日に福岡県若松市(現北九州市若松区)が成立した。 しかし、1942年(昭和17年)4月1日市制施行の大阪府泉大津市を嚆矢に、1948年(昭和23年)1月1日に奈良県大和高田市、4月1日に大阪府泉佐野市、1954年(昭和29年)1月1日に奈良県大和郡山市、3月31日に滋賀県近江八幡市、4月1日に岐阜県美濃加茂市および大阪府河内長野市、5月31日に大分県豊後高田市と、市の名称の重複に配慮した事例が続き、半ば慣行化していた。 その最中、東京都府中市(1954年(昭和29年)4月1日市制施行)が市制施行を申請したあとに、広島県府中市が「1954年(昭和29年)3月31日」と一日早い市制施行日を申請するという、ある種の競争が発生し、市の名称の重複が問題視されるようになった。若松市の事例と異なり、府中市の事例は重複に配慮すべき相手先の市がまだ存在しない時点における競争が理由の重複であったが、1954年(昭和29年)7月1日に埼玉県比企郡松山町ほか4村が合併した際に市名として申請した松山市は愛媛県松山市との重複を理由に認可されず、東松山市となった。また、同一名称市の最初の事例である若松市でも先に市制施行をした福島県若松市が周辺町村の編入を期に1955年(昭和30年)1月1日、会津若松市に改称した。 こうしたことを踏まえ、1970年(昭和45年)に各都道府県知事あてに出された「地方自治法の一部を改正する法律の施行について」(昭和45年3月12日自治振第32号)という自治事務次官通知によって、「市の設置若しくは町を市とする処分を行う場合において、当該処分により、新たに市となる普通地方公共団体の名称については、既存の市の名称と同一となり、又は類似することとならないよう十分配慮すること。」とされるようになった。 これ以後、既に存在する市の(表記上の)名称と同一の名称を使用することができないとされ、既存の市と同一名称の町が市制施行をする際には、方角等を頭に付す(北海道北広島市、埼玉県上福岡市〈現ふじみ野市〉、東京都東大和市、山口県新南陽市〈現周南市〉など)、旧国名や都道府県名・郡名などの広域地名を付す(岩手県陸前高田市、茨城県常陸太田市、常陸大宮市、京都府京田辺市、大阪府大阪狭山市、広島県安芸高田市など)、地域を象徴する名詞等を後ろに付す(京都府長岡京市、福岡県大野城市など)、旧国名にする(大阪府摂津市<三島町が市制施行>、高知県土佐市<高岡町が市制施行>等)、広域地名をそのまま使用する(福岡県八女市〈福島町が市制施行〉など)、瑞祥地名に変更する(埼玉県和光市〈大和町が市制施行〉など)等、様々な方法で市制施行にあたって重複を避けている。 しかし、平成の大合併が行われるなかで、歴史的に共通した項目があるなどの合理的な理由によって既に存在する市側が了承すれば、同一の名称を使用することができるようになり、福島県伊達郡伊達町ほか4町が申請した伊達市が北海道伊達市と同一名称であるにもかかわらず認められた。 2017年(平成29年)現在、同一名称の市としては前述の府中市と伊達市の2組が存在するのみとなっている。 また、「守山市」と「八幡市」は、それぞれ愛知県と福岡県にあったが、いずれも合併で消滅した(守山市→名古屋市守山区、八幡市→北九州市八幡区→北九州市八幡西区・八幡東区)ため、消滅後に市制施行した滋賀県守山市や京都府八幡市は支障なく市制施行している。 なお、字が違うが同じ読みの市は、出水市と和泉市(いずみ)、鹿島市と鹿嶋市(かしま)、江南市と香南市(こうなん)、古河市と古賀市(こが)、堺市と坂井市(さかい)、さくら市と佐倉市、津島市と対馬市(つしま)、北杜市と北斗市(ほくと)、三次市と三好市とみよし市(みよし)、山形市と山県市(やまがた)の10組が存在する。このうち鹿嶋市とみよし市は、市制施行時に既存の市(鹿島市・三好市)と同一表記となることを避けるために別の文字(異体字・平仮名)を用いた例である。
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市の名称
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「ホーボーケン (ニュージャージー州)」の記事における「市の名称」の解説
ホーボーケンという名前はジョン・スティーブンス大佐がこの地域一帯の土地を購入した時に付けられた。 レナペ族(後にデラウェア族インディアンと呼ばれた)がここで石鹸石(英語版)を集めてパイプを彫り出していたので、この地域を「タバコのパイプの土地」と呼んでおり、その言葉「ホポガン・ハッキング」(Hopoghan Hackingh)が訛ったものと信じられている。 この地域に最初に住んだヨーロッパ人はニューネーデルラントに移住したオランダ人開拓者であり、レナペ族の言葉を縮めた可能性がある。ただし、それを確認できる文書化された記録は無い。やはり確認は出来ないが、1983年にベルギーのアントウェルペンに併合されたフランドルの町、「ホーゲ・ブーヘン」(Hooghe Buechen)または「ホーゲ・ブーケン」(Hoge Beuken)(en)から名付けられたという説がある。この名前は中世オランダ語から派生したもので、「高いブナ」という意味がある。また、17世紀オランダのロッテルダムで地主であったヴァン・ホボーケン(Van Hoboken)一家に因んで名付けられたという説もある。ロッテルダムには一家の名前を採った広場がある。18世紀と19世紀にニュージャージー北部で話されていたジャージー・ダッチというオランダ語の方言があるが、これはゼーラント語とフランドル語を基に英語とおそらくレナペ語の影響を受けた者であり、そのジャージー・ダッチでこの地域が何と呼ばれていたかも明らかでない。 北に隣接するウィーホーケンや、南のコミュニポーおよびハリシマスと同様に、ホーボーケンはその時代の話し言葉の中で変化してきた。高い崖を意味しキャッスル・ポイントを指す可能性のある古オランダ語の「ホーブック」(Hoebuck)は植民地時代に使われ、後に英語では「Hobuck」と綴られてきた。 ホーボーケンの非公式のニックネームは「マイル・スクェア・シティ」であるが、実際にハドソン川の水面下にある部分を含めれば2平方マイルある。19世紀終盤から20世紀初めにかけてのホーボーケンは、人口も文化もドイツ語を話す人々が圧倒的なものになり、時には「リトル・ブレーメン」と呼ぶこともあった。それらの人々の多くはノースバーゲンのホーボーケン墓地に埋葬されている。
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