レナペ族とは? わかりやすく解説

レナペ

(レナペ族 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 19:05 UTC 版)

ラッパウィンソエ酋長

レナペ族(Lenape、レニ・レナペ族、Lenni-Lenape )あるいはデラウェア族(Delaware)は、アメリカ・インディアンネイティブアメリカン)の部族である。「レナペ」は彼らの言葉で「真の人間」という意味。

文化・歴史

アルゴンキン語族に属し、現在でいうアメリカ東部ニューイングランドニューヨーク州ペンシルベニア州ニュージャージー州デラウェア州、デラウェア湾・デラウェア川一帯で、トウモロコシの栽培農場を中心に、多数の支族集団が小規模なウィグワムの集落を作って狩猟採集を行いながら点在していた。

植民地仲買人ウィリアム・ペンとレナペ族の1682年の土地交渉の想像画(ベンジャミン・ウェスト画、1771年)

部族名のレナペの別名「デラウェア」は、1610年ジェームズタウン入植のバージニア植民地総督に任じられた、第3代デラウェア男爵トマス・ウェストを記念して、サミュエル・アーガル大尉が入植地の湾をデラウェアと名付けたことに由来する。

以後、イギリス白人の入植による土地略奪と虐殺、また彼らが持ち込んだ天然痘風邪などの伝染病で部族の人数は減り、衰退した。白人のように牛や馬、羊といった家畜を飼う文化が無かったため、伝染病に免疫を持たず、ひとたまりもなかったのである。

詐欺による領土剥奪

詐欺によって強奪されたレナペ族の領土(暗色部分)

1737年、英国の入植仲買人ウィリアム・ペンの息子たちは、ラッパウィンソエ酋長(Lappawinsoe)に対し、「我々が一日半で歩いて回れるだけの面積の土地を、白人入植者に売ってくれないか」と持ちかけた(Walking Purchase)。

調停者であるラッパウィンソエ酋長がこれを承諾すると、ペンは14人の屈強な男たちに、1日半(36時間)かけて281キロメートルを歩かせた。こうして、デラウェア川一帯4,860平方キロメートルの土地は、白人のものとなってしまった。

「ここはデラウェア族から騙し取った土地だ」との、デラウェア族の抗議のステッカー(西フィラデルフィア、2008年)

「生まれ故郷から出ていけ」と言われたラッパウィンソエと部族民は激しく抗議したが、抵抗むなしく武力によって抑え込まれ、彼らは西方へ強制的に追い出されることになった。その後数年間の戦いで、彼らはさらに虐殺された。

現在この契約は酋長の署名もなく、いかさまとされている。ブリタニカ百科事典は、「土地の詐欺取引」の項目でこの「Walking Purchase」に言及している。

現在

かつてのレナペ族(デラウェア族)インディアンの勢力範囲

生き残った者はイギリスおよびイギリスから独立したアメリカ政府のさらなる領地拡大により、西部に移動させられた。部族の多くの者はチェロキー族の連合に入り、独立した部族をなんとか保っていた。インディアン強制移住法が発布されると、部族の大半は1860年代にインディアン準州(現オクラホマ州)に強制移住させられた。アメリカ連邦政府が公式認定し、保留地(Reservation)を領有するのはこのオクラホマ部族のみとなっている。

他の小規模のレナペ族は強制移住を拒否し、なおも北東部の各州に残って結束を保っており、ニュージャージー州ではレナペの三部族が州政府によって公認されている。それ以外の他州のレナペ族は、「絶滅部族」扱いとなり、「インディアン部族」としては公認されていない。

外部リンク


レナペ族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:05 UTC 版)

ニューヨーク市の歴史」の記事における「レナペ族」の解説

この地に先住するインディアン部族のレナペ族(デラウェア族)は、長らくこの地を領土としていた。独自の文化持ちアルゴンキン語族系の言葉話したレナペはこの地域をScheyischbi、または「海との境界の場所」、「レナペホーキング(英語版)」(論争中であり現在答え出ていないが、おそらく「レナペの住む場所」という意味だという)と呼んだ。 彼らは地域取れ限定され獲物、貝、鹿など)約150種の狩猟をしていて、比較獲物の数は少なかった考察されるが、洗練された狩猟資源利用技術有していた。焼畑農業により肥沃な土壌生み出しトウモロコシカボチャ、豆などを栽培した。また二つの川からはカキストライプドバスなど多量魚介類手に入れる術も身に着けていた。レナペ族は小さな団体季節ごとにウィグワム使用した移動型生活をし、一定した集落定住する民族ではなかった。(右図当時のレナペ族の勢力範囲) また彼らは文字を持たなかったが、現在のニューヨーク地名は彼らの言語由来するものが多い。"マンハッタン"はレナペ言葉で「丘の多い島」、または「我々がみな、酔っぱらいにされた島」という意味である。優れた道路開拓行っておりブロードウェイなどその多くは現在でも幹線道路として残っている。 レナペ族は族内のみならず他の部族物々交換による貿易もしていて、物々交換主な対象となったのは貝殻などを手作り宝飾品にした貝殻玉(ワムパム)だった。貝殻玉を作るのに必要な材料ピクォート族独占していた。これらはロングアイランド湾(図4)で採れた。現在のニューヨーク市地域生産され貝殻玉が五大湖周辺でも発見されているため、同族同士のみならず他のインディアンイロコイ族現在のニューヨーク州東部居住)などとの貿易豊かさ示している。このことからヨーロッパ人の入植以前からニューヨーク地域商業中心であった可能性が濃い。ヨーロッパ人入植し始めた時代インディアン人口同地域だけで約15,000人に上った推測されている。

※この「レナペ族」の解説は、「ニューヨーク市の歴史」の解説の一部です。
「レナペ族」を含む「ニューヨーク市の歴史」の記事については、「ニューヨーク市の歴史」の概要を参照ください。

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