市の創設と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 19:39 UTC 版)
城塞施設の最初の萌芽は9世紀から10世紀に遡る。マールブルクの文献上最初の記録は 1138年または 1139年になされ、「市」としては 1222年に初めて記録されている。住民は、近隣の現在はなくなったアルデンツハウゼン、ラマースバッハ、ヴァルパーツハウゼン、イーベルンハウゼン、ヴィルマンスドルフといいた集落からマールブルクに移り住んだ。空間上、城の近くにあったヴァイデンハウゼンやツァールバッハは、フォアシュタット(衛星都市)となった。 しかし、テューリンゲン方伯妃エリーザベトが 1228年にマールブルクを隠居所に選んだことで、この街は重要性を獲得した。彼女は病院を建設し、そこで病人や障害者の看護に身を献げた。彼女は24歳の若さで亡くなった(1231年)のだが、現在でもマールブルクで活動した最も重要な人物である。彼女については多くの伝説が遺されている。1235年にはすでに聖女と呼ばれており、ドイツ騎士団は同じ年に彼女の墓の上にドイツで最初の純粋なゴシック教会である聖エリーザベト教会の建設を始めた。聖女の墓に詣でるためにヨーロッパ全土から巡礼がこの街を訪れ、マールブルクに都市の隆盛をもたらした。巡礼者の墓は、聖ミヒャエル礼拝堂脇にあり、ミヒェルヒェンと呼ばれている。
※この「市の創設と中世」の解説は、「マールブルク」の解説の一部です。
「市の創設と中世」を含む「マールブルク」の記事については、「マールブルク」の概要を参照ください。
- 市の創設と中世のページへのリンク