豊栄町誕生後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 15:12 UTC 版)
#外部リンクも参照。 1959年(昭和34年)7月22日 - 北蒲原郡長浦村を編入合併。同時に飛び地状態解消。市制施行まで新潟県下最大人口規模の町(人口:34,625人)となる。この頃町章ができる。 1960年(昭和35年)4月1日 - 旧木崎村浜浦地区(現新潟市白勢町)が新潟市へ分町。(人口:34,256人) 1962年(昭和37年)3月6日 - 町役場を上大口(豊栄市役所、豊栄支所を経て旧北区役所)へ移転。 1967年(昭和42年)8月28日 - 羽越豪雨により新発田川、太田川から溢れた水が市街地へ流入して冠水。同月30日までに床上浸水255戸、床下浸水607戸、田畑の浸水2150ha。 1968年(昭和43年)ごろ - 新都市計画法成立に伴い用途地域の導入に向けた動きが始まる。 1970年(昭和45年)11月1日 - 新潟県で21番目に市制施行(人口:32,715人)。人口規模は19番目。 1974年(昭和49年)ごろ - 市街地に住居表示を導入する動きが始まる。 1978年(昭和53年)8月1日 - 北蒲原郡聖籠町との境界変更。 1981年(昭和56年)9月1日 - 新発田市との境界変更。 2005年(平成17年)3月21日 - 新潟市へ編入合併。 2007年(平成19年)4月1日 - 新潟市を政令指定都市に移行。旧豊栄市が北区の一部となる。 詳細は新潟市の行政区域の変遷を参照。 また、豊栄市役所がそのまま新潟市北区役所となり、2021年2月1日に東栄町の新庁舎に移転するまで使用された。
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