富寧郡
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富寧郡(プリョンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道に属する郡。鉱業が盛んである。
富寧郡(第1次)
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1398年 - 石幕城と称される。 1431年 - 石幕城に寧北鎮が設置され、節制使が鏡城郡を兼ねた。 1449年 - 富居県を廃して民戸を石幕城に移し、富寧と改称する。のちに都護府に昇格した。 1895年 - 富寧郡となる。 1908年 - 清津が開港地となる。 1910年 - 清津府に編入される。 1914年4月1日 - 郡面併合により、咸鏡北道清津府の大部分(青下面の一部を除く)、会寧郡の一部(観海面)が合併し、富寧郡が発足。富寧郡に以下の面が成立。(8面)下茂山面・西上面・石幕面・青岩面・連川面・富居面・三海面・観海面 1939年 - 青岩面の一部が清津府に編入。(8面) 1943年10月1日 (8面)下茂山面が富寧面に改称。 青岩面の一部が清津府に編入。 1945年(光復直後) (8面)清津府の一部が石幕面に編入。 青岩面の一部が清津市に編入。 1949年 (5面)連川面・富居面・三海面・観海面が新設の羅津郡に編入。 清津市の一部が分立し、輸城面が発足。 1950年 - 清津市の一部が青岩面に編入。(5面) 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡北道富寧郡青岩面・富寧面・石幕面および輸城面・西上面の各一部、羅津郡連川面および富居面の一部地域をもって、富寧郡を設置。富寧郡に以下の邑・里が成立。(1邑18里)富寧邑・連川里・石幕里・最賢里・兄弟里・金降里・橋院里・麻田里・連津里・倉坪里・沙口里・稷下里・沙河里・南夕里・芹洞里・舞袖里・古茂山里・旧邑里・土幕里 1952年末 - 古茂山里が古茂山労働者区に昇格。(1邑1労働者区17里) 1954年10月 (1邑2労働者区17里)富寧邑の一部が分立し、松谷里が発足。 芹洞里の一部が富寧邑に編入。 旧邑里が旧邑労働者区に昇格。 1960年10月 - 富寧郡廃止。古茂山労働者区・旧邑労働者区・石幕里・沙河里・金降里・兄弟里・最賢里・舞袖里・倉坪里が新設の清津市富寧区域に編入。 橋院里・連川里・連津里・麻田里・沙口里が羅津郡に編入。 富寧邑・南夕里・松谷里・芹洞里が新設の清津市松坪区域に編入。 稷下里・土幕里が新設の清津市青岩区域に編入。
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富寧郡(第2次)
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1970年7月 - 清津直轄市富寧区域富寧郡古茂山一洞・古茂山二洞・富寧一洞・富寧二洞・石幕里・沙河里・金降里・兄弟里・最賢里・舞袖里・倉坪里・連川里・連津里・麻田里・龍済里・富居里・沙口里・橋院里をもって、咸鏡北道富寧郡を設置。(1邑1労働者区14里)富寧一洞・富寧二洞が合併し、富寧邑が発足。 古茂山一洞・古茂山二洞が合併し、古茂山労働者区が発足。 1972年7月 - 富寧郡廃止。富寧邑・古茂山労働者区・沙河里・石幕里・金降里・兄弟里・最賢里・倉坪里・舞袖里が新設の清津市富寧区域に編入。 橋院里・連川里・麻田里・沙口里・龍済里・富居里・連津里が清津市青岩区域に編入。
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富寧郡(第3次)
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1985年12月 - 咸鏡北道清津市富寧区域富寧一洞・富寧二洞・古茂山一洞・古茂山二洞・沙河里・石幕洞・金降里・兄弟里・最賢里・倉坪里・舞袖里をもって、富寧郡を設置。(1邑1労働者区7里)富寧一洞・富寧二洞が合併し、富寧邑が発足。 古茂山一洞・古茂山二洞が合併し、古茂山労働者区が発足。 石幕洞が石幕里に降格。 1987年10月 - 石幕里が石幕労働者区に昇格。(1邑2労働者区6里) 1991年9月 - 舞袖里が舞袖労働者区に昇格。(1邑3労働者区5里)
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