阿多郡とは? わかりやすく解説

阿多郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/09 02:06 UTC 版)

鹿児島県阿多郡の位置

阿多郡(あたぐん)は、鹿児島県薩摩国)にあった

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

  • 日置市の一部(吹上町小野、吹上町田尻、吹上町与倉以南)
  • 南さつま市の一部(金峰町各町)

歴史

近世以降の沿革

11.田布施村 12.阿多村 13.伊作村(桃:日置市 赤:南さつま市 1 - 10は日置郡)
  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[注釈 1]。(20村)
    • 阿多郷 - 新山村、浦之名村、白川村、花瀬村、宮崎村、中津野村(現・南さつま市)
    • 伊作郷 - 田尻村、今田村、華熟里村、小野村、和田村、湯之浦村、中之里村、与倉村、入来村、中原村(現・日置市)
    • 田布施郷 - 大野村、池辺村、尾下村、高橋村(現・南さつま市)
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。
  • 明治12年(1879年2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての阿多郡が発足。「市来郡役所」が日置郡湊村に設置され、同郡および甑島郡とともに管轄。
  • 明治14年(1881年7月28日 - 給黎郡川辺郡揖宿郡頴娃郡とともに「知覧郡役所」の管轄となる。
  • 明治17年(1884年) - 尾下村の一部が分立して大阪村となる。(21村)
  • 明治20年(1887年5月9日 - 日置郡とともに「伊集院郡役所」の管轄となる。
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、各郷に田布施村阿多村伊作村が発足。(3村)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制施行のため、「伊集院郡役所」の管轄区域をもって、改めて日置郡が発足[1]。同日阿多郡廃止。

脚注

脚注

  1. ^ 郷については『角川日本地名大辞典』による。

出典

  1. ^ 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置(明治29年法律第55号、 原文

参考文献

関連項目





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