阿多田島灯台資料館(旧安芸白石挂燈立標施設)吏員退息所
名称: | 阿多田島灯台資料館(旧安芸白石挂燈立標施設)吏員退息所 |
ふりがな: | あたたじまとうだいしりょうかん(きゅうあきしらいしけいとうりつびょうしせつ)りいんたいそくじょ |
登録番号: | 34 - 0002 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 煉瓦造平屋建、瓦葺、建築面積91㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治36 |
代表都道府県: | 広島県 |
所在地: | 広島県大竹市阿多田島田ノ浦449 |
登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
備考(調査): | 広島県近代化遺産(建造物等)総合調査 |
施工者: | |
解説文: | 煉瓦造で外壁にモルタルを塗った航路標識施設の附属屋で,アーチ形の入口や窓の鎧戸等に洋風の意匠を取り入れられている。我が国の近代の海上交通の発展に貢献した阿多田島の役割を理解する上で欠くことのできない施設である。 |
阿多田島灯台資料館(旧安芸白石挂燈立標施設)物置
名称: | 阿多田島灯台資料館(旧安芸白石挂燈立標施設)物置 |
ふりがな: | あたたじまとうだいしりょうかん(きゅうあきしらいしけいとうりつびょうしせつ)ものおき |
登録番号: | 34 - 0003 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 煉瓦造平屋建、瓦葺、建築面積42㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治36 |
代表都道府県: | 広島県 |
所在地: | 広島県大竹市阿多田島田ノ浦449 |
登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
備考(調査): | 広島県近代化遺産(建造物等)総合調査 |
施工者: | |
解説文: | 煉瓦造で外壁にモルタルを塗った航路標識施設の附属屋で,物置や浴室として使用された。隣接する旧吏員退息所とともに我が国の近代の海上交通の発展に貢献した阿多田島の役割を理解する上で欠くことのできない施設である。 |
阿多田島灯台資料館(旧安芸白石挂燈立標施設)油庫
名称: | 阿多田島灯台資料館(旧安芸白石挂燈立標施設)油庫 |
ふりがな: | あたたじまとうだいしりょうかん(きゅうあきしらいしけいとうりつびょうしせつ)ゆこ |
登録番号: | 34 - 0004 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 煉瓦造平屋建、スレート葺、建築面積14㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治36 |
代表都道府県: | 広島県 |
所在地: | 広島県大竹市阿多田島田ノ浦449 |
登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
備考(調査): | 広島県近代化遺産(建造物等)総合調査 |
施工者: | |
解説文: | 洋風の意匠を持つ煉瓦造の附属屋で,燈火用の油庫として使用された。島では数少ない煉瓦を外観にあらわした建物であり,我が国の航路標識施設の整備が大きく進展した時代に建設された煉瓦造の附属施設の様子を知ることができる好例である。 |
建築物: | 若桜鉄道隼駅本屋及びプラットホーム 萩駅舎 豊後水道海事博物館 近鉄宇治山田駅本屋 阿多田島灯台資料館 阿多田島灯台資料館 阿多田島灯台資料館 |
阿多田島灯台資料館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/30 06:03 UTC 版)
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施設情報 | |
前身 | 安芸白石灯標事務所 |
専門分野 | 灯台資料の展示 |
管理運営 | 大竹市教育委員会生涯学習課 |
建物設計 | 逓信省航路標識管理所 |
開館 | 1996年(平成6年) |
所在地 |
〒739-0607 広島県大竹市阿多田島田ノ浦449 |
位置 | 北緯34度11分13.4秒 東経132度18分57.2秒 / 北緯34.187056度 東経132.315889度 |
アクセス | 阿多田島参照 |
プロジェクト:GLAM |
阿多田島灯台資料館(あたたじまとうだいしりょうかん)は、広島県大竹市にある、灯台に関する資料を展示している資料館(博物館)である。
概要
1903年(明治36年)竣工の旧安芸白石灯標事務所が大竹市に譲渡され、1996年(平成6年)資料館として再開館したもの。付属施設含め国の登録有形文化財に登録された。
瀬戸内海広島湾に浮かぶ阿多田島の東南端にある。大竹市が管理する宿泊施設「海の家あたた」の付属施設として位置づけられており、普段は施錠されており見学の際には市教育委員会生涯学習課か海の家あたたに事前連絡する必要がある[1][2]。
施設
設計は逓信省航路標識管理所[3]。元々はこの付近にある安芸白石灯標を管理していた施設で吏員の退息所・油庫・物置の3つの施設からなるが、資料館として公開しているものは旧吏員退息所のみになる。3つとも洋風煉瓦造で、外壁をモルタル処理している[3]。
- 資料館
- 付帯施設
沿革
白石とは、阿多田島と大黒神島の間約6kmの中間付近にある岩礁である[7]。安芸白石灯標(座標:北緯34度10分41秒 東経132度20分53秒 / 北緯34.17806度 東経132.34806度)、竣工当時の名称は安芸白石挂灯立標、はその白石に明治36年(1903年)建てられた灯台である[7]。この明治期の短い期間に広島湾には幾つもの灯台が整備された[7]。これは全国的に見ても珍しいものとなっている[7]。
- 明治32年(1899年) : 新開鼻灯台
- 明治35年(1902年) : 亀石灯標
- 明治36年(1903年) : 安芸白石灯標、中ノ瀬灯標
- 明治37年(1904年) : 屋形石灯標、西五番之砠灯標、安芸絵ノ島灯台
この時代、明治22年(1889年)呉市を拠点に大日本帝国海軍呉鎮守府が開府[8]、明治27年(1894年)日清戦争が勃発すると宇品港(広島港)が大日本帝国陸軍の兵站拠点となり[9]、広島湾周辺に重要な軍事拠点が置かれたため一連の灯台群が整備されたと考えられている[7]。
そして広島湾の入口にあたる阿多田島に、安芸白石灯標と西五番之砠灯標を管理するため「白石挂灯立標吏員退息所」であるこの建物群が整備された[7]。のち「安芸白石航路標識事務所」に名称変更、昭和53年(1978年)合理化により施設自体は閉鎖された。そこへ平成6年(1994年)大竹市に贈与され、改修後平成8年(1996年)から資料館として開館した[7]。同年、国の登録有形文化財に登録された。
交通
阿多田島#交通参照
脚注
- ^ “宿泊”. 大竹市. 2016年2月29日閲覧。
- ^ a b “阿多田島 KKRホテルスタッフブログ”. 国家公務員共済組合連合会広島共済会館 (2014年4月19日). 2016年2月29日閲覧。
- ^ a b “阿多田島灯台資料館”. ひろしまたてものがたり. 2016年2月29日閲覧。
- ^ “阿多田島灯台資料館(旧安芸白石挂燈立標施設)吏員退息所”. 文化庁. 2016年2月29日閲覧。
- ^ “阿多田島灯台資料館(旧安芸白石挂燈立標施設)物置”. 文化庁. 2016年2月29日閲覧。
- ^ “阿多田島灯台資料館(旧安芸白石挂燈立標施設)油庫”. 文化庁. 2016年2月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g “明治期に建設された灯台30 安芸白石灯標”. 日本航路標識協会 (2009年4月23日). 2016年2月29日閲覧。
- ^ “呉の歴史”. 呉市. 2016年2月29日閲覧。
- ^ “日清戦争と宇品港”. 広島平和記念資料館. 2016年2月29日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 国登録有形文化財 阿多田島灯台資料館 - 大竹市
- 阿多田島灯台資料館のページへのリンク