観光・文化
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中心市街地周辺では、江戸時代に成富兵庫茂安の石井樋建設によって嘉瀬川から分流された多布施川が市中を縦断、城内を経て佐賀江川に至るのをはじめ、中小河川の支流が街中を張り巡らしていた。古くからの城下市街地では表通りを流れる水運路が美しい景観を生み出す一方で、家々の裏にも飲用水の供給を目的とした背割り水路が網羅されていて、昭和40年ごろまでは生活用水や水遊び場として広く利用されていた。またこの水はやがて用水路に至り農業用水としても活用されていた。しかし次第に生活排水による水質悪化が問題となって、生活用水としては利用されなくなっていたところ、市民運動から始まった「水対策市民会議」(1980年 - )によって年2回の市内一斉河川清掃「川を愛する週間」運動が展開されたことにより水質改善、また水路網の修景や保存意識が高まり水辺の環境が向上した。こうした経緯、環境から旧・佐賀市は水の郷百選に選ばれている。 また、平野部では佐賀平野特有のクリークが多く点在している。クリークは、夏季には河川と水量を調節しながら水が供給され、冬季などはため池のような役割を担い、年中ほとんどの時期で水を有している。そのため、トンボやホタルなどが多く生息しており、この地域の自然の特徴とされている。これらは観光資源でもあり、「トンボ王国・さが」と題して観光や環境教育に活用されている。 一方で、水辺が多いことで蚊が多く発生しやすいといわれており、市報でも毎年蚊対策を呼びかけるほどで、蚊の羽音になぞらえて「ぶーんか都市」(「文化都市」と掛けている)と自嘲する声もある。 一方で、山岳部でも水辺の環境は良好で、旧・富士町も「緑と清流と温泉の町」として水の郷百選に選ばれている。 中心部の街角の至る所に恵比寿像が点在し、総数は500体近くあるとされている。これらは、江戸時代より商売繁盛などを願って設置されたもので、古くより身近な存在として市民に親しまれてきた。観光素材として取り上げる動きはこれまでなかったが、2004年より市民団体や行政によって「恵比須八十八ヶ所巡り」などの観光事業も行われている。 古墳時代の遺跡から佐賀藩時代の城跡、さらに幕末期の反射炉跡まで、比較的多くの史跡が残っている歴史のある街である。近年、観光資源の発掘が盛んでかつて住宅街に埋もれていた佐賀城本丸周辺も立ち退きが進み観光地的雰囲気を醸し出し、特に2004年の天保期の本丸御殿を再現した県立佐賀城本丸歴史館の開館以降市内観光の中心的役割を担っている。また日本の科学技術近代化の一翼をになった佐賀藩のお膝元だけに国産初の蒸気機関車模型(蒸気車雛形)、蒸気船模型、湿板写真機、高度な撮影・現像技術に裏打ちされた藩主直正公の鮮明な肖像や慶応年間の城下の古写真、トンメス分析表などの幕末に製作された科学技術近代化遺産が豊富である。現在もその名残として佐賀藩精錬方の流れを汲むガラス器製造が副島硝子によって継承されている。その他無形遺産が比較的豊富で、古くは肥前国風土記の伝承があるほか、葉隠や徐福などの伝説も残っている。 食文化で特筆すべき点は長崎街道(シュガーロード)沿いにあることによる菓子文化の発達が挙げられる。潤沢に手に入った砂糖と豊饒な佐賀平野で穫れるもち米や小麦を材料とした上に、南蛮・中華貿易を通じて伝来した製法により古くからバリエーション豊かな菓子が作られてきており、今では信じられないことに多くの市内老舗菓子店でもカステラの斤単位≒600gでの量り売りなどが盛んに行われ、戦前には製菓業は人気の職業として三番目にあげられるほどであったが、中心部の衰退とともに菓子店は次第に数を減らし、かつて盛んに生産され名物になっていた米おこしや、婚礼用の金華糖の一種である寿賀台(すがだい)など幻となった菓子も多い。しかし近年シュガーロードが脚光を浴びることで観光資源として再び注目を集め始めている。
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観光・文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 02:18 UTC 版)
フランスの首都パリは、セーヌ川にある中州のシテ島から発達した町である。シテ島の上流に続くサン・ルイ島、チュイルリー公園、コンコルド広場、エッフェル塔、シャイヨ宮、自由の女神像など、セーヌ川およびその河岸は、現在でもパリ市の観光の中心であり、バトームーシュと呼ばれる観光船も定期的に運航されている。一部はパリのセーヌ河岸として世界遺産に登録されている。 セーヌ川は絵画や映画、シャンソンなど音楽のテーマとして数多く取り上げられてきた。オードリー・ヘプバーンの映画『シャレード』では観光船でのケーリー・グラントとの夕食の舞台で、河岸の恋人たちが映し出される。 パリ市外では、画家クロード・モネが暮らしたジヴェルニーは下流部にある。モネは『セーヌ河の朝』という作品を残しているほか、有名な連作の画題とした『睡蓮』を育てた池はセーヌ川支流から水を引いていた。 2024年に開催が予定されているパリオリンピックの組織委員会は開会式をセーヌ川で行うことを2021年12月13日に明らかにした。競技場外において、開会式を開催するのは夏季オリンピックでは初めてとなる。競技場で行う場合の約10倍にあたる60万人が一部無料を含む観戦が出来るメリットがある一方、安全確保が大きな課題となる。
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観光・文化
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水産業と自然を中心とした観光展開している。海上ではスナメリ(島ではデゴンドウと呼ばれる)の泳ぐ姿をたまに見ることが出来る。また島には江戸時代以降に建立された文化財も点在している。 観光名所・文化財など 長浦海浜 - 島の西にある海岸。県内に少なくなった自然海岸で県自然海浜保全地区に指定されている。 海の家あたた - 大竹市が管理する宿泊施設。資料館はその付属施設にあたる。阿多田島灯台資料館 観音堂 - 観音山山頂にある。縁起は、寛永年間(1624年-1643年)に玖波村漁師の与右衛門が平戸沖で網に引っかかった観音像を持ち帰ったところ、観音像が夢のお告げで平戸が見えるところに祀れと言ったことから観音山に祀ったもの。 演福寺 - 漁港の背面に鎮座する。享和3年(1717年)圓立(円山仙之助)が開山した浄土真宗本願寺派の寺院。 阿多田島神社盃状穴 - この境内には盃状穴が開けられたものがある。広島県では初めて発見された盃状穴でもある。日清戦争凱旋記念碑 : 参道にある石碑。3世紀後半から7世紀後半にかけて備中にあった箱型石棺の蓋を利用して作られたと言われている。 狛犬の台座×2 四脚灯籠 - 文化13年(1816年)大工屋平左衛門が寄贈した灯籠。建立当時灯台の役目を担っていたと言われている。大竹市域において江戸時代の灯籠としては唯一のもので、これの台座にも盃状穴が開けられている。 祭り 阿多田例大祭 - 毎年10月13日に行われる豊漁祈願祭。江戸時代から行われてきた。 あたた愛ランドで釣り大会
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観光・文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 15:31 UTC 版)
その穏やかかつさわやかな気候ゆえ、マンダールは夏のリゾート地としてとても人気がある。市街付近のシェーサンデン(「海の砂」の意)をはじめ、海沿いに延々と伸びるビーチで名高い。 市街ではマンダール河畔に白い木造住宅が軒を連ねる旧市街で知られる。1800席を擁する国内最大の木造教会、マンダール教会も観光客を惹きつけている。 オスロのヴィーゲラン彫刻公園を手がけた彫刻家のグスタフ・ヴィーゲラン(1869年 - 1943年)はマンダールの出で、市内に彼の博物館がある。同じく当地出身の画家アドルフ・ティーデマン(1814年 - 1876年)は、ハルダンゲルフィヨルドでの伝統的な婚礼を描いたハンス・ギューデとの共作で有名。アマルドゥス・ニールセンやオーラフ・イサクセンといった芸術家はこの町を「大芸術家の小さな町」と呼んだ。 2009年、市内のホガンヴィクでルーン石碑(ホガンヴィク石碑)が発見された。
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観光・文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/12/03 22:47 UTC 版)
チャイコフスキーの生誕地であるヴォトキンスクには生家が残っており、現在はチャイコフスキーが使ったおもちゃや、幼少期にレッスンに使ったピアノなどが展示されたチャイコフスキー博物館になっている。
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観光・文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 14:41 UTC 版)
「ヴァスコ・ダ・ガマ (ゴア州)」の記事における「観光・文化」の解説
ボグマロビーチ(英語版)はヴァスコから約8kmの地点にある。このビーチは港の水中に電流を通す設備があることから海中遊泳を行うことは危険であるとされており、泳ぐ場合通常ライフガードが同行して行うこととなる。ヴァスコの周りには他にホラント (Khollant, Issorcim) やバイナ (Baina) といった小さなビーチがある。 ビーチ付近から離れると、ヴァスコの街にはポルトガル領インドであった当時の面影を残す観光名所がある。アンドリュー協会は市の入口に位置しているが、市中心部に位置する海軍航空博物館(英語版)はインド唯一の海軍と航空に関する博物館であり人気の観光名所となっている。海軍航空博物館では航空機模型の展示や写真を通してインドの海軍、空軍の歴史について紹介している。 ゴア州の人気音楽グループ、ダイヤモンド・オーケストラ (Diamond Orchestra) はヴァスコ出身である。また、イギリスの音楽グループ、リンクス (Lynx)やコレクティヴ・ソウル (Kollectiv Soul) のメンバーもインドのゴア州の出身である。 ヴァスコはヒンドゥー暦のシュラーヴァナ月(英語版) (第5番目の月) にナーグ・パンチャミー(英語版)の祭りに先行して毎年開催されるShri Damodar Bhajani Saptahで知られている。 2011年8月21日、ヴァスコ・ダ・ガマの聖アンドリュー教会に世界を巡っている聖ヨハネ・ボスコの古蹟が到着した。 ゴア州の他の都市と同じく、ヴァスコではシグモ(英語版)を祝い、ゴア州全体で毎年ストリート・パレードを行なっている。
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観光・文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 18:30 UTC 版)
ニアス島の南部の丘陵地には、高床式の木造住居群(Omo Hada)が散在している。村は王族(Si'ila)の巨大な家屋を中心に木造家屋群が立ち並んでいる。一般的な家屋1軒を建てるのには30年以上必要であり、世代を超えて少しずつ作り上げ、また修理して使っている。しかし、近代化の波が押し寄せており、現在は家屋の椰子葺きの屋根は、トタン屋根に移りつつある。また、伝統家屋は裏側にコンクリート製家屋を増築して使っている家もある。村内の路地は石畳であり、多く石造物が配置されている。伝統家屋群は一部は観光化されており、2mほどの石の跳び箱を飛び越えるジャンピングストーンや戦士の踊りなどを目玉にしている。ジャンピングストーンは、1000ルピア札の図柄にも使用された。 南部のソラケビーチ(もしくは、ラグンディ・ビーチ)はサーフィンで有名。かつてサーフィンの国際大会が行われた。オーストラリアを中心としたサーファーたちが訪れる。 島内の料理は、さまざまな海産物料理や豚料理が有名。
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観光・文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:26 UTC 版)
毎年1月には館山若潮マラソンが開催され、地内の房総フラワーラインがコースとなり、多くのランナーで賑わう。 洲崎のミノコオドリという洲崎神社で伝承されている独自の踊りがある。
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観光・文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 04:52 UTC 版)
来島者は釣りや海水浴といった海に関するレジャー目的が多い。定期船の数は1日5往復あり、鞆港からの始発が午前8時、走島からの最終便が午後5時20分となっているため、これを利用する場合は日帰りで最長9時間滞在することができる。なお、島内には数件の民宿がある。 村上庄屋旧宅 - 上記の村上氏の邸宅 唐船天女浜海水浴場 白城稲荷神社
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観光・文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 20:46 UTC 版)
古墳の多い地域であり、県立装飾古墳館が設置されている。また下記の文化財が所在する。
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観光・文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 08:00 UTC 版)
墨子国際研究センターと中国墨子学会が滕州市に本拠を置く。 全国重点文物保護単位:薛城遺址 毛遂墓 竜泉塔 荊河公園 滕国故城 善国文公台 孟嘗君陵園 墨子紀念館 漢書像石館 滕州博物館 王学仲芸術館 中外酒瓶博物館 浜湖萬畝紅荷湿地 滕州は墨子の故郷であると主張している。孔子の故郷の曲阜市や孟子の故郷の鄒城市にも近く、儒教の影響が色濃く教育熱心な土地柄である。 滕州の特徴的な食文化は羊肉湯・煎餅・菜煎餅・辣湯・粥・糝(シャ)などがある。特に粥は豆を使ったもので朝食などに食べられ、他の地方とは異なった意義を持つ。
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