ヨハネ・ボスコとは? わかりやすく解説

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ヨハネ・ボスコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 08:00 UTC 版)

聖ヨハネ・ボスコ
証聖者
サレジオ会創立者
聖職
司祭叙階 1841年
個人情報
出生 (1815-08-16) 1815年8月16日
サルデーニャ王国
(現・ イタリア
ピエモンテ州
カステルヌオヴォ
死去 (1888-01-31) 1888年1月31日(72歳没)
イタリア王国
トリノ
聖人
記念日 1月31日
列福 1929年6月2日
ローマ
列福決定者 ピウス11世
列聖 1934年4月1日
ローマ
列聖決定者 ピウス11世
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ジョヴァンニ・メルキオッレ・ボスコGiovanni Melchiorre Bosco1815年8月16日 - 1888年1月31日ドン・ボスコ)は、19世紀に活躍した北イタリアカトリック司祭、教育者。カトリック修道会であるサレジオ会、扶助者聖母会(サレジアン・シスターズ)の創立者[1]カトリック教会聖公会聖人であり、カトリック教会では出版関係者の守護聖人。記念日は1月31日[2]ドンは、イタリアにおいては高位聖職者への敬称。ヨハネは、ジョヴァンニを日本のキリスト教式に読んだもの。

生涯

ヨハネ・ボスコは1815年8月16日、ピエモンテ州カステルヌオヴォ郊外、ベッキ村で生まれた[3]1835年から1841年までキエリの大神学校で哲学神学を学んだ後、1841年、当時のサルデーニャ王国の首都トリノで司祭に叙階された[4]19世紀後半のイタリア統一運動産業革命の中で青少年たちが放置される現実に直面し、もっとも貧しい青少年たちのために生涯を捧げることを決意。1859年サレジオ会を設立し[5]1869年に教皇から正式認可を受ける[6]1872年に扶助者聖母会を設立[7]1874年4月3日、サレジオ会の会憲が教皇から公式承認され、会は教皇直轄の修道会となる[8]。学校事業、社会事業を通じて多くの人々を導いた。1888年1月31日帰天。葬儀には10万人が参列した。1934年列聖。現在、サレジオ会の本部はローマにあり、ヨハネ・ボスコの理想を引き継いで世界中で青少年教育活動を行っている[9]

出典

参考文献

  • エンツォ・ビアンコ、カルロ・デ・アンブロジオ 著、扶助者聖母会 訳『ドン・ボスコ』ドン・ボスコ社、1980年12月8日。 
  • 小坂井澄『葡萄畑から遠い道―ドン・ボスコの生涯』春秋社、1987年9月30日。ISBN 4-393-21707-1 

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